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元亀元年(1570)、約3万の兵力を誇った織田信長・徳川家康連合軍に対して、1万8000人の浅井長政・朝倉景健[かげたけ]連合軍が挑んだ。姉川付近で激闘が繰り広げられ、結果は信長の勝利に終わった。現在の野村橋が架かる姉川一帯は血に染まったといわれ、今も供養塔が残る。多数の戦死者を出した浅井方はこの戦いの後、天正元年(1573)の小谷城落城とともに終焉を迎えることになる。
石田会館の東側にある石田神社には、三成一族と家臣の供養塔をはじめ、三成自筆の和歌や三成の辞世の碑が立つ。
浅井氏の居城として栄えた小谷城。日本五大山城の一つとして知られ、今もなお山上には城の遺構が残り、ふもとの清水谷には浅井氏や家臣団の屋敷があったという。国の史跡に指定されている。
三成が生まれた屋敷跡に立つ石田会館には、三成の生涯を描いた絵巻パネルや関連パネルを展示。前庭には三成の銅像、堀跡とされる治部池などがある。
賤ヶ岳の合戦で柴田勝家の焼討ちに遭った観音像が、江戸時代に造られた鞘仏の中で大切に守られてきた。冷水寺に祀られているこの像の歴史を伝えるため、地元の人々が手作りしたのが、胎内仏資料館だ。胎内仏の写真や春日神社の神像写真などをパネルで展示している。
湖北から京都へと物資を運ぶ丸子船で栄えた、塩津浜に残る天保5年(1834)に建てられた常夜燈。その風格ある佇まいは、今も当時の面影を色濃く残している。
賤ケ岳リフトは滋賀県長浜市の自然の絶景が一望できるリフト。京都、大阪、名古屋からも近くアクセス良好で、賤ケ岳リフトで6分登ると、琵琶湖や余呉湖、竹生島や伊吹山が一望できる絶景が待っている。戦国時代の英雄たちが、天下を夢見て駆け抜けた地、湖北。かつて、賤ケ岳の戦いが行われた、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家の決戦の舞台で、今は賤ケ岳古戦場として歴史ファンがたくさん訪れ、歴史の香りも残る場所になっている。山々に吹く爽やかな風を感じながら、美しい自然の風景と思い出を心に刻もう。
長浜の豪商・浅見又蔵が私財を投じて建てた迎賓館。「慶雲館」の名は初代総理大臣の伊藤博文が名づけたと伝わる。庭は2代目又蔵が慶雲館建設25周年を記念して造園、平安神宮の神苑などを手がけた7代目小川治兵衛作で、国の名勝になっている。毎年1月上旬~3月中旬は長浜盆梅展を開催。
江戸時代に栄えた北国街道周辺に、今なお残る歴史的建造物を利用して構成される複合観光スペース。江戸~明治時代に造られた蔵や商家を生かしたショップ、ギャラリー、レストラン、カフェ、ガラス工房など約22軒が点在している。
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