
マリア地蔵
庭園の美しい大宝寺にある地蔵で、発見当時から首がなく、隠れキリシタンが観音像に似せてマリア像を作ったという伝説が残る。
- 「奈良井駅」から徒歩10分
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庭園の美しい大宝寺にある地蔵で、発見当時から首がなく、隠れキリシタンが観音像に似せてマリア像を作ったという伝説が残る。
福島宿の東端、木曽川の断崖に設けられた福島関所は中山道のほぼ中央に位置する。江戸時代には東海道の箱根と新居、中山道の碓氷と並ぶ重要な関所の一つとされ、厳重な取り締まりで有名だった。東西45m、南北30mの堂々たる関所は、明治2年(1869)の関所廃止後に取り壊されたが、昭和50年(1975)の発掘調査を基に史跡公園として整備されている。
間口が狭く奥行きがある出梁造[だしばりづくり]が特徴の、奈良井の代表的民家。櫛問屋を勤めた中村利兵衛の屋敷として、天保8年(1837)の大火直後に建てられた。雨戸の役目を果たす蔀戸[しとみど]をはじめ、防火壁として設けられた袖壁、猿頭をあしらった鎧庇[よろいびさし]、情緒ある千本格子や潜[くぐ]り戸など、独特な造りがそのまま残る。屋内は、通り土間が裏まで続き、ミセノマ、吹き抜けのカッテ、ナカノマ、ザシキ、箱階段などが見られる。
福島関所の関守を務め、木曽代官も兼務していた山村氏の屋敷の一部を所蔵品と併せて公開。当時の屋敷は隣接する福島小学校の敷地一帯に広がっていたが、現存するのは下屋敷の一部だった城陽邸と付属の庭園、本邸の石垣の一部のみ。城陽邸は享保8年(1723)に再建された建物で、書院造の座敷を中心とした数室からなる。その一室には山村家の守り神、木やりを唄うキツネ・お末社様とよばれ崇拝されたキツネのミイラが祭られている。山村家家臣の漢学者・石作駒石[いしづくりくせき]の書斎翠山楼も敷地内にある。所要15分。
中山道を江戸板橋宿から数えて45番目の宿場町として栄えた中津川宿は、旅籠だけでも大小29軒を数える大きな宿場だった。現在、本町にある本陣跡地には、石碑が残されている。周辺には古い家屋も立ち並び、卯建[うだつ]のある家なども見ることができる。
太閤通口からすぐの中央コンコースに立つ銀色の時計。新幹線改札口のすぐ目の前にあるので、遠方から来た人との待ち合わせにおすすめ。
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