
新居関跡
慶長5年(1600)、徳川家康により、東海道の通行人を調べるために創設された関所。「入鉄砲[いりてっぽう]に出女[でおんな]」といわれ、鉄砲と女性は特に厳重な取り調べを受けた。江戸時代後期の建物が現存する全国で唯一の関所跡で、国の特別史跡に指定されている。
- 「新居町駅」から徒歩12分
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慶長5年(1600)、徳川家康により、東海道の通行人を調べるために創設された関所。「入鉄砲[いりてっぽう]に出女[でおんな]」といわれ、鉄砲と女性は特に厳重な取り調べを受けた。江戸時代後期の建物が現存する全国で唯一の関所跡で、国の特別史跡に指定されている。
徳川御三家のひとつ、紀州藩の御用宿を勤めた新居宿最大の旅籠。江戸後期の旅籠の様式が残る建物内に、宿場文化に関する資料を展示。
関ケ原の戦い直後まで山内一豊が城主だったことでも知られる掛川城。平成6年(1994)に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元され、令和6年(2024)復元30周年を迎えた。掛川城周辺には早咲きのカケガワザクラ(掛川桜)はじめソメイヨシノ、シダレザクラ、そして色とりどりのユリを楽しむことができる。日本100名城認定。掛川城御殿は国の重要文化財。
太閤通口からすぐの中央コンコースに立つ銀色の時計。新幹線改札口のすぐ目の前にあるので、遠方から来た人との待ち合わせにおすすめ。
奈良時代に全国に造られた国分寺の一つ。昭和26年(1951)に発掘され、東大寺を模した七堂伽藍を備えていたことがわかった。東西180m、南北253mの跡地には、金堂や講堂の礎石が点在し、史跡公園として開放されている。
清須に位置し、園内には26歳の織田信長が桶狭間の戦いに出陣する姿を模した銅像とそれを傍らで見守る濃姫像があり、夫婦円満が出世、恋愛のパワースポットとして話題である。
名古屋の幹線輸送路だった堀川と中川運河を結んでいた水門。東洋一ともいわれた建築美は本来の役目を終えた今も健在。夜にはライトアップされる。付近は松重閘門公園として整備されている。
旧草津川トンネルの南側脇にある石造りの道標。旧東海道と旧中山道との分岐・合流点にあたり、街道を往来する諸国の飛脚仲間らの寄進によって文化13年(1816)に設置された。
天正9年(1581)、信長の命により、イタリア人宣教師オルガンチノが安土城の城下町に創建した日本最初のキリシタン神学校跡。現在では、安土城の外濠沿いに佇む公園として整備されている。
幕末の大老井伊直弼が17歳から32歳までを過ごした屋敷。彦根藩第11代藩主直中の14男として生まれた直弼は、わずか300俵の捨扶持で部屋住の一生を終えるはずだった。埋木舎とは、直弼が花の咲かない埋もれ木と同じ身の上だけれども自分にはなすべき技があるといって名付けた舎号。
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