
下馬橋
諏訪大社下社春宮の大鳥居の前、御手洗川にかかる反り橋。長さ10m・幅3mほどの小さな橋で、桁行四間の銅瓦葺の屋根がかかっている。天正6年(1578)に造営され、現在の橋は元文年間(1736~1740)に修築されたもの。昔は境内に入る前に下馬し、参拝したという。現在でも遷座祭の際は、御霊代[みたましろ]の御輿はここを渡る。
- 「下諏訪駅」から徒歩17分
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諏訪大社下社春宮の大鳥居の前、御手洗川にかかる反り橋。長さ10m・幅3mほどの小さな橋で、桁行四間の銅瓦葺の屋根がかかっている。天正6年(1578)に造営され、現在の橋は元文年間(1736~1740)に修築されたもの。昔は境内に入る前に下馬し、参拝したという。現在でも遷座祭の際は、御霊代[みたましろ]の御輿はここを渡る。
諏訪大社下社秋宮にある。天保6年(1835)、諏訪の名匠、二代立川和四郎富昌[たてかわわしろうとみまさ]によって造営された。巨大なしめ縄がかかり荘厳な雰囲気を漂わせる。
諏訪大社下社春宮の境内に生い立つ杉の木。秋宮の根入りの杉と同様、神社の御神木。
諏訪大社下社秋宮の鳥居をくぐると正面にそびえる、高さ約35mの杉の大木。樹齢約800年。大社の御神木の一つで、真夜中になると枝を下げて寝入るといわれる。
諏訪大社下社春宮の近くに鎮座する石仏。胴石に万治3年(1660)の銘がある。伝承では春宮の鳥居を造る際、この石にノミを入れたところ血が流れ出し、驚いた石工が霊の宿る石として阿弥陀如来を祭ったという。高さ2mの自然石の上に小さな頭がのった石仏で、画家の岡本太郎が「こんなにおもしろいものは見たことがない」と話したことから観光客が訪れるようになった。
古い町並みが残る上松宿[あげまつじゅく]から山手に少し入ったところにあり、木曽家16代目・義元[よしもと]の二男玉林の創建と伝えられる寺。大火による焼失を免れた黒松の大木と山門が美しい調和を見せ、天神堂横の枝垂桜は毎年美しい花をつける。
治承4年(1180)に以仁王[もちひとおう]の令旨[りょうじ]を受けた義仲が、ここで平家追討の旗挙げと戦勝祈願を行ったことから名前がついた。武家の守護神として知られる京都の石清水八幡宮を勧請し、義仲が館を構えたこの地に祭ったのが建立の由来とされる。義仲の元服の儀式もこの境内で行われ、その際に植樹したとされる拝殿脇の大きなケヤキは、義仲元服ケヤキとよばれている。
境内に檜やスギの天然木が繁る。石垣の覆屋[おおいや]の中には建武元年(1334)の棟札が残る間口1mほどの熊野、伊豆、白山、蔵王の4つの社殿(重要文化財)が並ぶ(拝観は要連絡)。いずれも一間社流造檜皮葺き[いっけんしゃながれづくりひわだぶき]の屋根が特徴的な長野県最古の鎌倉建築とされる。永享11年(1439)の銘のある鰐口も残され、木曽谷の文化の中心だったことがうかがえる。
室町時代初期に創建された、木曽福島の興禅寺[こうぜんじ]、長福寺[ちょうふくじ]と並ぶ木曽三大寺の最古刹。永享2年(1430)に建てられたが木曽川の氾濫で流失し、慶長3年(1598)に現在地に再興された。現在ある本堂、庫裡[くり]、山門は当時の建物で、昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定。本堂内にはウグイス張りの廊下が残され、木曽檜造りの大きな座像「定勝だるま」があることから木曽七福神布袋尊霊場としても知られている。鶴亀蓬莱庭園や山門そばのシダレザクラも見事。
天保10年(1582)の創建と伝わっている古刹。境内には、隠れキリシタンとの関わりが深いと推察される「マリア地蔵尊」がある。本堂裏の得地円は、遠州流の名園といわれる庭園もあり、この地に刻まれてきた歴史・文化の奥深さを物語る。
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