
廣八幡神社
『紀伊続風土記』などによると、欽明天皇の時代の創建と伝わる。室町時代に建てられた本殿や楼門、拝殿などの建物と鎌倉時代に作られたの短刀が国の重要文化財に指定。毎年10月1日に行われる秋祭りでは、豊作を祈願する田楽や獅子舞が奉納される。稲むらの火の物語で村の人たちが避難した場所にあたり、境内には濱口梧陵の碑が立つ。稲むらの火祭りは毎年10月第3土曜開催。
- 「広川ビーチ駅」から徒歩20分
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『紀伊続風土記』などによると、欽明天皇の時代の創建と伝わる。室町時代に建てられた本殿や楼門、拝殿などの建物と鎌倉時代に作られたの短刀が国の重要文化財に指定。毎年10月1日に行われる秋祭りでは、豊作を祈願する田楽や獅子舞が奉納される。稲むらの火の物語で村の人たちが避難した場所にあたり、境内には濱口梧陵の碑が立つ。稲むらの火祭りは毎年10月第3土曜開催。
虎関[こかん]師錬開山の臨済宗東福寺派の寺。天明6年(1786)、津波で大破していた寺を愚海[ぐかい]和尚が再建した際、友人の画家・円山応挙が再建祝いとして方丈の障壁画を描き、その作品を弟子の長沢芦雪が寺に届けた。芦雪もまた、この寺に滞在している間、多くの襖絵などを描き残したため、無量寺は「芦雪寺」とよばれている。
紀伊田辺駅の北、会津川のほとりに立つ「弘法さん」で親しまれる寺。寺伝によると、草創は聖徳太子で、弘法大師が中興したとされ、豊臣秀吉の紀州征伐で焼き討ちされた。境内を見渡すと、文化年間(1804~18)に建てられた多宝塔がひときわ目を引く。また、縄文時代の貝塚跡や、墓地には南方熊楠[みなかたくまぐす]や合気道創始者の植芝盛平[うえしばもりへい]の墓もある。
大宝元年(701)建立。和歌山県下に現存する最古の寺。若く美しい安珍に心を奪われた清姫は募る思いから大蛇となり、道成寺の釣鐘に隠れた安珍を炎で燃やし、自らは入水したという伝説が残る。62段の石段を上り、朱塗りの仁王門(重要文化財)をくぐると、正面に本堂(重要文化財)、右手に安珍清姫伝説の鐘楼跡がある。宝仏殿には平安前期作の木造千手観音立像(国宝)や脇侍の日光・月光菩薩像(国宝)をはじめ、数々の文化財を安置。縁起堂では、寺の縁起と安珍清姫伝説の絵とき説法(約40分)も、随時行う。
5世紀初めに、熊野権現を勧請し、建立されたと伝えられる神社。社名は、弁慶の父といわれる熊野別当湛増[たんぞう]が、壇ノ浦の合戦の際に源平両軍から支援を求められ、どちらにつくか迷ったので、この神社の境内で紅白の鶏を闘わせて占い、源氏に加勢したことから付いた。境内には江戸時代建築の社殿が立ち並び、社務所には、湛増の鉄烏帽子や鉄扇、源義経愛用の笛、弁慶の産湯の釜が、社宝として展示されている。
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