
大本山 中山 法華経寺
文応元年(1260)に創建された日蓮宗大本山の一つ。境内には国指定重要文化財である法華堂、五重塔、四足門、祖師堂などがあり、法華堂は宗門最古のもの、祖師堂は全国でも珍しい比翼入母屋造りである。日蓮聖人が執権北条時頼に建白した立正安国論[りっしょうあんこくろん](国宝)や観心本尊抄[かんじんほんぞんしょう](国宝)などの真蹟を恪護する。
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文応元年(1260)に創建された日蓮宗大本山の一つ。境内には国指定重要文化財である法華堂、五重塔、四足門、祖師堂などがあり、法華堂は宗門最古のもの、祖師堂は全国でも珍しい比翼入母屋造りである。日蓮聖人が執権北条時頼に建白した立正安国論[りっしょうあんこくろん](国宝)や観心本尊抄[かんじんほんぞんしょう](国宝)などの真蹟を恪護する。
天慶3年(940)、寛朝[かんちょう]大僧正により開山された、真言宗智山派の大本山。本尊は弘法大師開眼の不動明王像と伝えられ、江戸期から「成田のお不動さま」とよばれ親しまれている。約23万平方mの広大な境内には、額堂や光明堂、釈迦堂、仁王門、三重塔(すべて重要文化財)が点在。現在の大本堂をはじめ、前本堂の釈迦堂、旧本堂の光明堂を巡れば、寺の発展の歴史をたどることができる。
正式名は鳴鐘山東勝寺[めいしょうざんとうしょうじ]で、桓武天皇の時代(781~806)創建の真言宗豊山派の古刹。江戸初期、重税に苦しむ農民のために立ち上がった義民・佐倉宗吾[さくらそうご]、本名木内惣五郎[きうちそうごろう]の菩提寺として知られる。境内には惣五郎の遺品を陳列する霊宝殿、惣五郎の生涯を人形によって再現した宗吾御一代記館などが建つ。
明治7年(1874)、谷中天王寺と寛永寺の敷地を東京市が引き継ぎ、谷中墓地として開設。10万平方mを超える園内には、長谷川一夫[はせがわかずお]、横山大観[よこやまたいかん]、鳩山一郎[はとやまいちろう]など、多くの著名人が眠る。幸田露伴[こうだろはん]の小説で有名な谷中天王寺の五重塔跡もある。
平安時代 延暦14年(795)創建、素盞雄大神と飛鳥大神を御祭神とする。荒川区内でもっとも広い氏子区域となる南千住・三ノ輪・三河島・町屋61ケ町の鎮守で、平成7年(1995)には御鎮座1200年祭が斎行された。境内には、当社創建の起源となった瑞光石[ずいこうせき]や、母乳の出ない婦人がその樹皮を煎じて飲み、絵馬を掛けて幼児の無事成長を祈ったと伝わる子育て銀杏、松尾芭蕉『奥の細道』旅立ちの句「行はるや鳥啼魚の目ハなみた」を刻む矢立初めの句碑(区指定文化財)などがある。毎年6月には二天神輿振りの天王祭(区登録無形民俗文化財)が斎行される。
天台宗の関東総本山。寛永2年(1625)、天海僧正によって創建。創建当時は徳川将軍家の祈祷寺だったが、後に菩提寺も兼ねるようになった。幕府の庇護の下、盛時には30余りの堂塔と36の子院が立ち並んだが、上野戦争でその多くを焼失。現在の本堂は、明治12年(1879)に川越の喜多院本地堂を移築し再建したものだ。
祭神は徳川家康。寛永4年(1627)、藤堂高虎の屋敷地に創建された。入口には石造りの明神大鳥居、参道両側には諸国大名から寄進された200基の石灯篭、48基の青銅製灯篭が並ぶ。本殿・拝殿・唐門など重要文化財も多い。ぼたん苑では、1~2月中旬の冬の牡丹と4月中旬~5月中旬の春牡丹、9月下旬~10月下旬にはダリアを見ることができる。
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