
曹源寺さざえ堂
文治3年(1187)、新田義重公が京から迎えた養姫[ようひめ]の祥寿姫[しょうじゅひめ]の菩提を弔うために建てられた六角堂が起源。2度の火災後、寛政5年(1793)に建立された3階建ての栄螺堂[さざえどう]と呼ばれる観音堂を本堂としている。栄螺堂は、その名の通り内部が螺旋[らせん]形式の回廊になっており、秩父、坂東、西国の観音札所に因んだ100観音像を安置し、国の重要文化財に指定されている。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
文治3年(1187)、新田義重公が京から迎えた養姫[ようひめ]の祥寿姫[しょうじゅひめ]の菩提を弔うために建てられた六角堂が起源。2度の火災後、寛政5年(1793)に建立された3階建ての栄螺堂[さざえどう]と呼ばれる観音堂を本堂としている。栄螺堂は、その名の通り内部が螺旋[らせん]形式の回廊になっており、秩父、坂東、西国の観音札所に因んだ100観音像を安置し、国の重要文化財に指定されている。
広々とした高濃度炭酸泉や開放感抜群の露天風呂、モンゴル秘伝の赤外線サウナなど、バラエティ豊かなお湯を楽しむことができる日帰り温泉施設。レジャー施設が集まる「スパジアム24」の一角にあり、ロケーションも抜群。
寛永21年(1644)に徳川家光が日光東照宮奥社から世良田に拝殿と唐門、多宝塔を移築し、本殿を新築して、世良田東照宮は勧請された。桃山時代の建築様式を表した拝殿や、左甚五郎作・狩野探幽画の彫刻「巣籠りの鷹」が施されている本殿は、ともに国の重要文化財。境内は国指定史跡に指定されている。
上武道路とよばれる国道17号沿いの道の駅。観光交流コーナーや休憩スペース、授乳室も完備した駅舎内では、太田市が日本屈指の栽培面積を誇る「やまといも」などの新鮮な野菜が並ぶ「採れたて市場」や、民芸品・工芸品を販売する「クラフト市場」での買い物が楽しみ。人気は道の駅では珍しい屋台形式の車がズラリと並ぶケータリングカービレッジ。日替わりでさまざまなケータリングカーが出店しており、上州らーめんやとろろうどん、とり皮餃子、ケバブなど多彩なメニューが揃う。週末にはイベントが開催され、多くの人々が利用する。
毒蛇温室や大蛇温室では、日本のアオダイショウの子ヘビやマムシからキングコブラやブラックマンバ、さらに4mをこえるアミメニシキヘビやオオアナコンダなど、様々なヘビが間近に見られる。また、日曜のイベントでは、「猛毒ハブからの採毒実演」や「ヘビのお食事タイム」「ハ虫類ふれあい体験教室」など、ヘビについて楽しく学ぶことができる。大蛇との記念撮影(3~11月)も人気。
金山山麓の7つの由緒ある寺を巡るコース。全行程約12km、所要時間約3時間。順路は弁財天(学業増進)の大光院、毘沙門天(開運厄除)の金龍寺、福禄寿(福運招来)の玉巖寺、寿老人(無病息災)の永福寺、布袋尊(福徳円満)の曹源寺(さざえ堂)、大黒天(五穀豊穣)の受楽寺、最後は恵比寿神(商売繁盛)の長念寺。毎年1月第2日曜に開催される。
明治8年(1875)、金山城本丸跡に建てられた神社で、新田義貞公が祭られている。樹齢800年以上の大ケヤキが立つ境内からは関東平野が一望できる。
元弘3年(1333)、新田義貞が後醍醐天皇の綸旨[りんじ]を受け、北条氏(鎌倉幕府)打倒のために兵を挙げたと伝えられる地。「大中黒」の軍旗がはためいたというクヌギの大木のほか、旗挙塚[はたごづか]や床机塚[しょうぎづか]などが残る。義貞は鎌倉幕府打倒後の混乱の中、足利氏との戦いで38歳で戦死。毎年5月8日、「鏑矢祭」[かぶらやさい](旗挙げの儀式)が境内で行われる。国指定史跡[遺跡地]。
新田地区には新田一族ゆかりの史跡が点在。8代目義貞[よしさだ]が成人後に居住したと伝えられるのが、この館だ。かつては三重の塁濠に囲まれた堅固な平城であった。現在は照明寺境内になり、本堂裏には「不鳴之池[なかずのいけ]」とよばれる日本庭園がある。また、照明寺は厄除け薬師の寺としても親しまれている。
岩松家純[いわまついえずみ]が築城したとされる戦国時代の山城。上杉謙信、武田勝頼などの再三にわたる攻略にも揺るがなかった堅城として名高い。現在も堀や石垣の一部が残っているほか、発掘調査により日ノ池や石敷き通路などが復元されている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。