
道の駅なち 那智駅交流センター
智勝浦町内の地元生産者から毎朝入荷する野菜は新鮮そのもの。常時15種以上が並ぶ野菜、果物類や加工品などが揃う。敷地内には、熊野那智の世界遺産を紹介している「熊野那智 世界遺産情報センター」や日本サッカーの父「中村覚之助」氏の展示施設(入場無料)がある。
- 「那智駅」から徒歩1分/「紀伊天満駅」から徒歩15分
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智勝浦町内の地元生産者から毎朝入荷する野菜は新鮮そのもの。常時15種以上が並ぶ野菜、果物類や加工品などが揃う。敷地内には、熊野那智の世界遺産を紹介している「熊野那智 世界遺産情報センター」や日本サッカーの父「中村覚之助」氏の展示施設(入場無料)がある。
周辺に棚田や茶畑のあるのどかな環境。施設内には、ウォータースライダー付のプールがあり子供連れのファミリーも楽しむことができるキャンプ場。世界遺産の熊野古道やラムサール条約に登録された串本の美しい海にも好アクセス。コテージ、ログハウスはペット入室可(一部不可)。
勝浦漁港の近くにある足湯で、無料でかけ流しの湯に浸れる。紀州材を使った3つの木造の湯船があり、眼前には漁船が行き交う港風景が広がる。木の優しい香りと潮風に包まれながらゆっくりと疲れを癒せる。
故郷を愛し続けた作家・詩人の佐藤春夫は、望郷詩人と称された。この『秋刀魚[さんま]の歌』は、大正10年(1921)に発表した代表作。「あわれ秋風よ 情あらば伝えてよ……さんま、さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて、さんまを食ふはその男がふる里のならひなり」と刻まれている。親友である作家谷崎潤一郎の夫人であった千代と再婚したときの心情を歌ったものだ。碑は旧国鉄紀勢本線開通の昭和34年(1959)に建立された。
4つの客室棟で構成された広い敷地内には、太平洋の荒波を間近で感じることができる洞窟風呂や、源泉かけ流しの湯を堪能できる大浴場など趣の異なる湯処が揃う。中でも大洞窟温泉忘帰洞は紀州の殿様が、そのここちよさから帰るのを忘れるほど素晴らしいと褒めたのが名の由来で、この天然の洞窟は、風波に浸食されてできた間口25m、奥行50m、高さ15mにも及ぶ。
大門坂茶屋では平安貴族の衣装を貸し出して、ひととき古にタイムスリップさせてくれる。旅先だからこそ楽しめる本場の非日常な体験。2時間まで3000円、3時間まで4500円、以降20分毎に500円。
古くから熊野詣で賑わった熊野古道を象徴する代表的な古道。大門坂バス停のそばから熊野那智大社の門前町に通じている。長さ600mの苔むした石段の両側には、深い杉並木が続く。木漏れ日しか差し込まず昼なお暗い、熊野古道の面影をそのまま残す歴史の道だ。那智大社まで、ゆっくり歩いて40分の距離。大門坂入口に立つ夫婦杉は、樹齢800年といわれる巨木である。
黒潮が流れる熊野灘は、クジラやイルカが回遊する海域として知られる。回遊してくるクジラの種類はマッコウクジラをはじめ、ザトウ、ニタリ、ミンク、シャチなどだが、比較的簡単にウォッチングできるのはマッコウクジラだ。マッコウクジラは毎年春になると熊野灘を回遊しながら子育てをし、9月下旬になると小笠原に行ってしまう。その約5ケ月が熊野灘でのホエールウォッチングのシーズン。南紀海洋体験ツアーのウォッチング船(14人乗り、3隻)は、勝浦と新宮の中間に位置する宇久井漁港から毎日出航し、3~4時間ほどクルージングする。
那智海水浴場そばの町営公衆浴場で、JR那智駅舎の造りを活かした神社の社殿のような建物が印象的。加温した自家源泉を2階にある大浴場に流し込む。
インドから熊野の海岸に漂着した裸形上人[らぎょうしょうにん]が開山した寺。本尊は千手千眼観世音菩薩像(重要文化財)で、平安時代に作られたもの。補陀洛とは古代サンスクリット語の「ポータラカ」の音訳で、観音菩薩の住む浄土を意味する。かつて那智の浜は補陀洛浄土に通じていると信じられ、この寺の住僧は臨終間際になるとわずかな食料を屋形付きの小舟に積み、扉を封印して、補陀洛へと旅立った。これを補陀洛渡海[ふだらくとかい]という。境内には渡海船が復元されているほか、隣には熊野詣の際、潮垢離[しおごり]をしたといわれる浜ノ宮王子跡に、熊野三所大神社[おおみやしろ]が立つ。
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