桑原史成写真美術館
長年にわたり国内外で活躍している津和野出身の報道写真家・桑原史成氏の作品を展示する美術館。水俣病で苦しむ人々やソ連崩壊後の様子、韓国の現状など、激動する現代を写真を通して語りかける。平成26年(2014)に写真展「不知火海」(ニコンサロン銀座・大阪)で土門挙賞を受賞。所要30分。
- 「津和野駅」から徒歩2分
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長年にわたり国内外で活躍している津和野出身の報道写真家・桑原史成氏の作品を展示する美術館。水俣病で苦しむ人々やソ連崩壊後の様子、韓国の現状など、激動する現代を写真を通して語りかける。平成26年(2014)に写真展「不知火海」(ニコンサロン銀座・大阪)で土門挙賞を受賞。所要30分。
津和野藩主亀井家の藩邸跡に造られた公園。園内に藩主が祭礼を眺めたという物見櫓[ものみやぐら]が、御幸橋[みゆきばし]畔に馬場先櫓[ばばさきやぐら]が復元されている。八重桜が多く、4月上旬は花見客で賑わう。
津和野町内から西に約8kmの郊外にある旧家の庭園で、江戸時代に銅山年寄り役を務め、明治時代には銅山王として知られた15代堀藤十郎が作庭した池泉回遊式庭園である。滝や雪見灯籠などを配した庭園の中央には樹齢300年の楓の古木がそびえ、新緑や紅葉期は格別の風情。桜や梅など四季の花も美しい。
西周は文政12年(1829)、津和野藩の医師の家に生まれ、わが国に西洋哲学を初めて紹介した哲学者。ペリー来航に触発されてオランダに留学し、法学と西洋哲学を学び帰国した。帰国後は15代将軍慶喜の政治顧問を務め、維新後は陸軍・文部・内務省の官僚を歴任。山県有朋のもとで明治憲法の草案作成に関わるなど、多方面で活躍した。森鴎外の森家とは親戚にあたり、家も近い。旧居は津和野川をはさんで鴎外旧宅と相対して立つ。安政元年(1854)再建の茅葺きの母屋と、周の勉強部屋があったという土蔵はともに国の史跡に指定。
「三本松城」「蕗城」ともよばれる津和野城は、鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した山城。当時は土塁だけであったが慶長6年(1601)に入城した坂崎出羽守が石垣を築き、出丸として織部丸[おりべまる]を増築するなど強化に努め、亀井氏に受け継がれた。建物は明治7年(1874)に取り壊され、現在は東門、天守台、出丸などの石垣が往時の堅固な城の面影を伝え、史跡に指定されている。一帯は木々に覆われて散策によく、秋はモミジの紅葉が美しい。
明治の文豪・森鴎外が文久2年(1862)に生まれ、10歳まで過ごした家。父は藩の御典医で、玄関から入って左の3畳間が父の調剤室。その奥の4畳半が鴎外の勉強部屋だったという。明治42年(1909)に発表された『ヰタ・セクスアリス』の中に「このへんは屋敷町で、春になっても柳も見えねば桜も見えない」と書いているのはこの家のことだ。前庭に鴎外の詩『扣鈕[ぼたん]』を佐藤春夫の筆で刻んだ碑が立つ。
道の駅津和野温泉なごみの里内にある日帰り温泉施設。和風と洋風の2タイプがあり、和風には大浴槽・樽風呂・遠赤外線サウナ・水風呂、洋風には大浴槽・ジャグジー・ミストサウナ・打たせ湯が揃う。露天風呂は、週1回、漢方薬湯やレモン湯など季節の湯を実施。和風と洋風は週替わりで入替えになる。家族風呂(貸切風呂)や湯上がりに利用できる無料休憩室のほか、有料休憩室も完備。
津和野独特の赤瓦と白壁が美しい、江戸時代の筆頭庄屋の屋敷を修復した個人美術館。館内には津和野出身の画家・中尾彰[しょう]と夫人の吉浦摩耶の作品を展示している。太い梁が組まれた民芸調の広い展示室には中尾の連作『林の女人たち』、吉浦の200号の大作『セーヌの女たち』などが並び、スペインの画家、ゴヤの銅版画『闘牛技シリーズ』も見られる。また、美術館本館及び門は国指定登録有形文化財(建物)に登録されている。所要20分。
標高908m、町の東にあるお椀をふせたような形のトロイデ火山。津和野城跡や町の随所から眺められる。
養老館があるあたりは、かつて家老屋敷が集まっていたところで、津和野のシンボル的なスポット。なかでも多胡家は、津和野藩筆頭家老を亀井氏11代にわたって務めた家柄。風格ある武家屋敷門の左右には門番詰所や物見部屋が残っている。隣接して立つ大岡家も家老の家柄。中は一部、津和野町役場として使われている。
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