乙女峠マリア聖堂
津和野駅の西、乙女峠に立つ小さな聖堂。明治元年(1868)新政府はキリスト教を禁じ、長崎県浦上の潜伏キリシタン3400人余を全国22ヵ所に流罪とし、拷問により改宗を強制した。このうち153人が乙女峠の光琳寺[こうりんじ]跡に収容され、37人が殉教した。彼らの霊を慰めるため、昭和23年(1948)にドイツ人神父ネーベルが建てたのがこの聖堂。堂内には殉教者を描いたステンドグラスがはめこまれている。5月3日には乙女峠まつりが行われる。
- 「津和野駅」から徒歩6分
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津和野駅の西、乙女峠に立つ小さな聖堂。明治元年(1868)新政府はキリスト教を禁じ、長崎県浦上の潜伏キリシタン3400人余を全国22ヵ所に流罪とし、拷問により改宗を強制した。このうち153人が乙女峠の光琳寺[こうりんじ]跡に収容され、37人が殉教した。彼らの霊を慰めるため、昭和23年(1948)にドイツ人神父ネーベルが建てたのがこの聖堂。堂内には殉教者を描いたステンドグラスがはめこまれている。5月3日には乙女峠まつりが行われる。
安永2年(1773)、津和野藩主7代亀井矩貞[のりさだ]公が京都の伏見稲荷大社より勧請された社であり、日本五大稲荷のひとつ。稲成と表記されるのは、「成就」=「願いが成る」の意味が込められているためといい、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・願望成就などのご利益を求めて多くの参詣者が訪れる。山腹には成就御礼と御祈願のために奉納された約1000本の鳥居が九十九折れのトンネルとなり、朱塗りの社殿とともに美しい景観を造り出している。11月15・16日の例大祭のころは紅葉も見ごろ。
応永27年(1420)に津和野城主吉見頼弘[よしみよりひろ]が創建した、歴代津和野城主の菩提寺。江戸時代は曹洞宗の西日本本山として栄えた。どっしりとした茅葺き屋根の本堂や経蔵、書院などの建物は、享保14年(1729)に再建されたもの。山門にかかる「覚皇山」の額は、明の帰化僧で水戸光圀[みとみつくに]に迎えられた心越[しんえつ]禅師の書だ。山門左手に森鴎外、本堂裏には大坂夏の陣で徳川家康の孫娘千姫を救出した坂崎出羽守の墓がある。
江戸時代の情趣を現代に伝える津和野のメインストリート。明治の文豪、森鴎外が少年時代に通った藩校養老館も現存している。6月は堀割に咲く花菖蒲と錦鯉のコントラストが美しい。
「山陰の小京都」と言われる700年の歴史と文化を持つ津和野町にある道の駅。道の駅には温泉「あさぎりの湯」が併設されており、和風・洋風2タイプの趣の異なった風呂を楽しむことができる。また、月に2回、伝統芸能である石見神楽を行うほか、地元の工芸品である竹細工や神楽面の色付け体験ができるなど、さまざまな楽しみ方を提供。そのほか町の特産品やみやげが充実した売店「物販みち草」や新鮮な野菜の直売所「新鮮市場 あおの」、地元の食材を中心とした「レストラン あかね雲」や手ぶらで楽しめるバーベキュー施設などが並ぶ。
長年にわたり国内外で活躍している津和野出身の報道写真家・桑原史成氏の作品を展示する美術館。水俣病で苦しむ人々やソ連崩壊後の様子、韓国の現状など、激動する現代を写真を通して語りかける。平成26年(2014)に写真展「不知火海」(ニコンサロン銀座・大阪)で土門挙賞を受賞。所要30分。
道の駅津和野温泉なごみの里内にある日帰り温泉施設。和風と洋風の2タイプがあり、和風には大浴槽・樽風呂・遠赤外線サウナ・水風呂、洋風には大浴槽・ジャグジー・ミストサウナ・打たせ湯が揃う。露天風呂は、週1回、漢方薬湯やレモン湯など季節の湯を実施。和風と洋風は週替わりで入替えになる。家族風呂(貸切風呂)や湯上がりに利用できる無料休憩室のほか、有料休憩室も完備。
津和野町内から西に約8kmの郊外にある旧家の庭園で、江戸時代に銅山年寄り役を務め、明治時代には銅山王として知られた15代堀藤十郎が作庭した池泉回遊式庭園である。滝や雪見灯籠などを配した庭園の中央には樹齢300年の楓の古木がそびえ、新緑や紅葉期は格別の風情。桜や梅など四季の花も美しい。
星が降るほど美しく星の民話の故郷としても知られている津和野町の日原地区。その日原の標高255mの枕瀬山に広がる枕瀬山森林公園内の天文台。口径75cm望遠鏡はハワイのマウナケア山頂に設置された「すばる」望遠鏡の試作鏡を使用した先進的な望遠鏡。昼も夜もできる天体観測は宇宙へ夢を運んでくれる。すぐそばの天文資料館では天文台の受付や無料のビデオ上映をしており、近くの星と森の科学館では夕焼けなど身近な天体現象の展示などもしているので併せて楽しみたい。
「三本松城」「蕗城」ともよばれる津和野城は、鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した山城。当時は土塁だけであったが慶長6年(1601)に入城した坂崎出羽守が石垣を築き、出丸として織部丸[おりべまる]を増築するなど強化に努め、亀井氏に受け継がれた。建物は明治7年(1874)に取り壊され、現在は東門、天守台、出丸などの石垣が往時の堅固な城の面影を伝え、史跡に指定されている。一帯は木々に覆われて散策によく、秋はモミジの紅葉が美しい。
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