田中一村終焉の家
画家・田中一村は明治41年(1908)栃木県生まれ。南国・奄美の自然に魅いられて昭和33年(1958)、齢50にして奄美に移住。亜熱帯独特の動・植物を描き続けたが、その独特の世界は生涯認められなかった。清貧・孤高の生活を続け、69歳でこの家に移った10日後に死去。作品は「田中一村記念美術館」で見られる。
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画家・田中一村は明治41年(1908)栃木県生まれ。南国・奄美の自然に魅いられて昭和33年(1958)、齢50にして奄美に移住。亜熱帯独特の動・植物を描き続けたが、その独特の世界は生涯認められなかった。清貧・孤高の生活を続け、69歳でこの家に移った10日後に死去。作品は「田中一村記念美術館」で見られる。
郊外にある森林。空を覆わんばかりの背の高い大型ヒカゲヘゴや、樹齢100年以上といわれるイタジイやイジュが生い茂り、どことなく太古の森を思わせる雰囲気。アマミノクロウサギ、ルリカケス、ケナガネズミなど貴重な鳥獣の棲息地となっている。認定ガイドを伴わない場合の金作原への進入は不可なので、訪れる際は必ずガイド付きツアーの予約を。
古くから神の山として崇拝されてきたおがみ山の一帯に整備された公園。市街地や港を一望にできる展望広場や、復帰広場が点在する。復帰広場は、昭和28年(1953)に奄美群島が本土に復帰した記念に造られたもの。奄美群島本土復帰記念碑と、復帰運動を進めた泉芳朗[いずみほうろう]の胸像が立っている。遊歩道には亜熱帯植物が植えられていて、散策に最適。遊歩道の入口は大島支庁の横、標高236mの展望広場までは片道約10分ほどだ。
奄美大島を代表する景勝地。こんもりとした丸い地形の岬で、「あや織りなす毬」のように美しいことからこの名があるという。岬に立つと視界には白い砂浜と遠浅のサンゴ礁の海が広がり、天気がよければ奄美大島北端の笠利崎や隣の喜界島も見える。丘の裾野のアダンやソテツの群生も見事。周囲はあやまる岬観光公園になっている。園内の高台にある観光案内所を兼ねた「MISHORAN CAFE」は海を一望できる絶景カフェ。
奄美の自然や歴史、文化をビジュアルで楽しく学べる「奄美の郷」と、奄美の自然を描き続けた日本画家・田中一村の作品を紹介する「田中一村記念美術館」がメイン施設のテーマパーク。
奄美大島最大のロングビーチ。大浜海浜公園でエメラルドに輝く海を前にしてBBQを楽しめる。また夏場には眼前の水平線に沈むダイナミックな夕陽もBBQを演出し、くつろぎのひと時が楽しめる。
大浜海浜公園内にある施設。奄美近海に生息する約100種の海洋生物を飼育展示している。奄美の海を再現したという高さ5mの大水槽は、両脇の階段からも海中の地形や魚たちを観察できる。また、岸辺を模した2階では、ウミガメたちにエサをあげたり、ふれあいを楽しめる。貝殻などを使った工作体験もできる(有料)。映像ホールで上映される水中映像も要チェック(20分)。所要50分。
奄美空港からあやまる岬へ向かう途中にある海岸。島人が「奄美で最も美しい」という、白砂とエメラルドグリーンからブルーへと色を変える珊瑚礁の海が素晴らしいビーチ。太陽の光の当たり方で千変万化するブルーエンジェルとも呼ばれる海の色が神秘的だ。岩場のある部分は波も穏やかで家族連れでのシュノーケリングに最適だが、岩場の外側では離岸流により沖に流されることもあるので注意を。トイレと水道の設備がある。
蒲生崎は東シナ海に面した岬。奄美に伝わる平家伝説では、源氏の追手の船を警戒した平有盛[たいらのありもり]・行盛[ゆきもり]が、遠見番を設けた場所とされる。見張りをした家臣、蒲生左衛門[がもうざえもん]を祭神として祭る蒲生崎神社と、標高120mの展望台があり、夕日を眺めるポイントとしても有名だ。
奄美の伝統文化を体験できる(前日までに要予約)。メニューは陶芸の古代焼き4000円、島唄2名以上3000円。
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