
琉球ガラス村
鮮やかな色彩と味わいある質感で、沖縄の代表的な工芸品になっている琉球ガラスを一堂に集めたのがこの琉球ガラス村。ガラスタイルで覆われた建物の中にはショップやギャラリーがあり、職人の手による色とりどりの琉球ガラスが並んでいる。ガラスコップの制作体験教室も開催していて、自分だけのオリジナル作品が作れるのがうれしい。当日先着順受付(定員になり次第受付終了)。作業時間5分程度。
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鮮やかな色彩と味わいある質感で、沖縄の代表的な工芸品になっている琉球ガラスを一堂に集めたのがこの琉球ガラス村。ガラスタイルで覆われた建物の中にはショップやギャラリーがあり、職人の手による色とりどりの琉球ガラスが並んでいる。ガラスコップの制作体験教室も開催していて、自分だけのオリジナル作品が作れるのがうれしい。当日先着順受付(定員になり次第受付終了)。作業時間5分程度。
平和祈念公園内にそびえ立つ白亜の建物。沖縄県民はじめ全国民の平和願望、戦没者追悼の象徴として建設。堂内には沖縄出身の芸術家・山田真山[やまだしんざん]氏が18年余かけて原型を制作した沖縄平和祈念像を中心に、西村計雄[にしむらけいゆう]画伯が平和への思いを込めて制作した連作絵画『戦争と平和』が壁面を飾る。祈念堂の理念に賛同した著名な画家から贈られた大作を展示する美術館、国内最大級の蝶・オオゴマダラを飼育する清ら蝶園も併設。敷地内には、彫刻家・佐藤忠良氏によるブロンズ製の「少年」の像を設置。所要30分。
沖縄本島南部の平和祈念公園内にある資料館。戦争の残酷さと平和の尊さを民衆の視点から訴えるという主旨で、沖縄戦に関するさまざまな資料を展示している。2階の常設展示場は、「沖縄戦への道」「鉄の暴風」「地獄の戦場」「証言」「太平洋の要石」の5つの展示室に分かれ、沖縄の人々の視点から見た沖縄戦の実相を後世に伝える展示をしている。未来を展望するゾーンとして1階には子ども・プロセス展示室があり、18カ国18人の子どもたちの生活の様子を通して、世界の多様性を学べる。1階の利用は無料。
日本最南端の道の駅。農産物や海産物の直売所、カフェ、物産センターなどが一堂に集結。糸満産の食材を活かした特産品は惣菜からスイーツにいたるまで幅広い。
「ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒のための慰霊碑。米軍の攻撃によりたくさんの生徒が亡くなった伊原第三外科壕のそばに建てられた。併設のひめゆり平和祈念資料館は沖縄戦でのひめゆり学徒隊の体験を伝える資料館。生存者の映像や手記、壕の実物大模型などを通して戦場の様子を知り、戦争や平和について学ぶことができる。
平和祈念公園の中にある刻銘碑。平成7年(1995)に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して、沖縄戦犠牲者すべての名を刻んだもの。沖縄戦最初の米軍上陸地、座間味村阿嘉島で採取した火と、広島市の「平和の灯」と長崎市の「誓いの火」を合火した「平和の火」を中心に、扇状に刻銘碑が広がる。メイン園路は6月23日の慰霊の日の日の出方向に向かって延びていて、平和への道のりを表わしている。
ハーレーや大綱引などの祭祀が執り行われる拝所。お堂の中には自然の石筍が祀られている。「意地ぬ出じらぁ手引き 手ぬ出じらぁ意地引き(腹が立ったら手を出さないようにし、手が出そうになったら心を鎮めなさい)」という黄金言葉(格言)の舞台としても有名。
約1600坪もの敷地内に、トーシー墓(当世墓)と4つのシルシラシ墓がある沖縄県最大級の共同墓。「門中」とは父系の血縁集団のことで、2つの門中の子孫は現在約5000人とも言われている。
沖縄本島最南端に位置し、東シナ海と太平洋を分けている。断崖の上には、灯台と展望台が立ち、見下ろすと青々とした大海原が広がる。岬の先端には昭和44年(1969)に建立された「平和の塔」が静かに立っている。近くには国指定史跡の具志川城跡があり、発掘調査と保存修理が行われている。
沖縄戦終焉の地である糸満市摩文仁に平和祈念公園として整備され、恒久平和への願いを発信する拠点となっている。園内には、沖縄県平和祈念資料館や、平和の礎[いしじ]、沖縄平和祈念堂、国立沖縄戦没者墓苑や各県慰霊塔など心に刻みたい見どころが多い。公園案内所にはWi-Fiフリースポットあり。園内EVバス一乗車ごと1回100円(土・日曜、祝日)。
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