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島の歴史や文化、民俗を学べる資料館。館内には尚円王[しょうえんおう]の親族である銘苅殿内[めかるどんち]の所蔵品を常設展示している。祭事に使われた祭具や、首里の国王から賜ったという掛け軸、漆器など、貴重なものばかり。伊是名島の周辺は遺跡も豊富。島の北に浮かぶ無人島の具志川島[ぐしかわしま]で発掘された貝輪着装人骨の展示は見逃せない。貝輪8枚を腕につけたまま発掘されたという珍しい人骨で、約2500~3500年前のものといわれている。所要30分。
伊是名島内に数多くある尚円王ゆかりの史跡のひとつで、この場所は尚円王の生誕地。王国時代から大切に護られてきた土地で、今も沖縄各地から参拝者が絶えない。園内には高さ3.5mの尚円王像が東方を指して堂々と立っている。奥の林には県史跡の尚円王生誕地屋敷・御臍所[みほそじょ]がある。応永22年(1415年)に、金丸が誕生した場所で、大きな石の下にへその緒が祭られている。近くには金丸が産湯を使ったという馬蹄形の井泉、潮平御川[すんじゃがー]がある。
伊是名島にある。第二尚氏に先立ち、永享元年(1429)に琉球初の統一王朝である第一尚氏王朝を築いたのは尚巴志[しょうはし]だが、島の東端にある伊是名城跡は、14世紀中ごろ尚巴志の祖父にあたる鮫川大主[さめかわうふぬし]が築城した城だ。珪岩[けいがん]でできた城は海抜約100m、三方が海や絶壁という天然の要塞で見事なピラミッド型をしている。山全体が城で、北側に石垣が築かれている。この城は鮫川大主が本島へ移ると廃城になった。沖縄県指定史跡。
ギタラとは尖った岩山のことで、海にあるのが海ギタラ、山間にあるのが陸ギタラと呼ばれお互い向かい合うように競り立っている。両ギタラの中間にはギタラ展望台があり、ここから両ギタラを間近に眺めることができる。また、ここから車で5分の所には、両ギタラはもちろん、チヂン岳や伊是名城跡など伊是名島を代表する美しい景色が一望できる。
銘苅家の先祖は尚円王の縁戚にあたり、王朝時代に代々島の地頭職を務めた旧家。住宅は国指定重要文化財に指定されている。門から入ると正面にヒンプン(目隠し塀)が、右側には屋根付きの門が立ち、女性は門、男性はヒンプンの左側から出入りしていたという。現在の建物は明治38年(1905)の再建で、母屋と那覇からの客の宿泊場所だったアサギ(離れ屋)の2棟がある。良質のマキ材を使って、伝統的な沖縄の建築様式で建てられている。母屋の背面と台所の外壁が漆喰塗りになっていることと、母屋とアサギが別棟でありながら屋根がひと続きなのが特徴。
本部半島の北西約27kmに位置する周囲約16kmの円形の島。琉球王朝第二尚氏の始祖、尚円王[しょうえんおう]の出身地で、ゆかりの史跡が多い。沖縄の原風景ともいうべき家並みが残る伊是名集落は散策におすすめ。伊是名島は、周囲を美しいサンゴ礁に囲まれており、周辺には具志川島、屋那覇島、降神島の3つの無人島があり、キャンプが楽しめる。問合せは伊是名村へ。
フクギ並木やサンゴの石垣、赤瓦屋根の民家など、沖縄の原風景といったたたずまいを残す閑静な集落。近世には島の番所(役所)が置かれていた。尚円王ゆかりの旧家の屋敷や、デイゴの大木が歴史の古さを語っている。
島の約3分の1の面積を占める自然公園。山肌一面に琉球松が群生するさまは、巨大な盆栽のようだ。2kmの遊歩道には3つの東屋が設けられ、二見ガ浦[ふたみがうら]海岸、伊是名山、地神岳[ちじんだけ]などの景勝地を眺めながら散策できる。二見ガ浦海岸は「日本の渚100選」に選ばれたサンゴ礁の海。一角には陸[あぎ]ギタラと海ギタラとよばれる岩山が、山側と海側で向かい合うようにしてそそり立っている。ギタラとは「断崖」を意味する言葉。
玉御殿は、琉球王家第二尚氏初代尚円の父(尚稷)らの墓所とされ、伊是名島の南東に突き出す小山の北麓に位置している。首里に築いた「王陵」と、ほぼ同時期に伊是名島の玉御殿も築いたと伝わる。国指定重要文化財。
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