
世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館
昭和の美術界を代表する洋画家・向井潤吉が長年愛用した自宅を兼ねたアトリエを、当時の様子のままに残して公開した美術館。館内には向井潤吉の油彩やデッサンなどを展示。そのモティーフは、戦後から一貫して日本の風土に根ざした茅葺き屋根の民家だ。クヌギやコナラ、ケヤキなど、武蔵野の自然林に囲まれた緑豊かな庭からは、自然をこよなく愛した画伯の生活や、制作の息づかいを感じられる。
- 「駒沢大学駅」から徒歩10分/「松陰神社前駅」から徒歩16分
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昭和の美術界を代表する洋画家・向井潤吉が長年愛用した自宅を兼ねたアトリエを、当時の様子のままに残して公開した美術館。館内には向井潤吉の油彩やデッサンなどを展示。そのモティーフは、戦後から一貫して日本の風土に根ざした茅葺き屋根の民家だ。クヌギやコナラ、ケヤキなど、武蔵野の自然林に囲まれた緑豊かな庭からは、自然をこよなく愛した画伯の生活や、制作の息づかいを感じられる。
下高井戸駅東口から徒歩2分の座席数126席の映画館。入替制で、1日に3~6作品を、邦画、洋画を問わず、メジャーからミニシアター系の良品まで、多種多様な作品を上映している。ロビーの壁には新聞に掲載された映画評や上映予定作品のポスターが貼られ、目当ての作品以外にも自然に興味が湧いてくるスペースとなっている。映画ファンにはもちろん、地域や沿線の人々からも愛される映画館だ。
世田谷区立郷土資料館と同じ敷地内にある国指定重要文化財の屋敷。大場代官屋敷とも呼ばれるこの屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩の世田谷領20カ村の代官を世襲してきた大場家の役宅。近世中期の代表的上層民家の旧態を保っているとして、茅葺き・寄棟造の主屋と表門の2棟は国の重要文化財に指定されている。
展望ロビーのある最上階・26階は、北東の都心側にレストランが入っているので、反対側の展望ロビーからの眺めは住宅や低層ビルが多い、ゆったりとした眺め。空気が澄んだ冬の日などには富士山も見える。
明治16年(1883)、神代より受け継がれる古式神道を蘇らせるために神田今川小路に創建された。大正8年(1919)に、西の方角に移転するよう神託がくだり、現在の場所に移転。ご祭神は、高天原を統治する太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめ、日本の記紀神話を中心とした神々で、そのご利益も多岐にわたる。
松陰神社に隣接している面積約1万5000平方mの南北に細長い公園。滑り台や複合遊具が揃う児童公園と、世田谷区の「せたがや百景」と世田谷区名木百選に選ばれたスジダイ群があり、その高い木は夏には涼しい木陰を作り、憩いの場となっている。秋にはシイの実がたくさん落ちてきて、シイの実拾いで子どもも大人も楽しめる。
東急電鉄世田谷線宮の坂駅からほど近くにある「宮の坂八幡様」で親しまれる神社。平安時代後期の創建と伝わり、祭神として応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の3柱を祀っている。勝利祈願、開運、交通安全、安産祈願の御利益があるとされ、境内にある土俵では、秋の例祭に奉納相撲が行われて多くの人々で賑わう。
文明12年(1480)、世田谷城主・吉良政忠が建立したと伝わる曹洞宗の寺。彦根藩2代藩主・井伊直孝が、豪徳寺の猫の手招きにより雷雨の難を免れたという言い伝えから、まねき猫が縁起物として祭られている。境内南西の区画は井伊家の墓所。滋賀県彦根市の清涼寺にある井伊家の墓所とともに、国の史跡に指定されている。
世田谷城は、貞治5年(1366)、奥州吉良氏が築城したのが始まり。代々居城として栄えたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命をともにしたため廃城となった。現在は、昔の面影を残す土塁や空堀の一部が残っており、東京都指定文化財にも登録されている。昭和15年(1940)には、付近一帯が歴史公園として整備され、世田谷城阯公園として開園。樹木に覆われた自然豊かな公園として開放されている。
吉田松陰を祭った神社。松陰の墓もある。墓碑銘は「吉田寅次郎藤原矩方命[よしだとらじろうふじわらののりかたのみこと]」。境内地の片隅には、高杉晋作[たかすぎしんさく]、久坂玄瑞[くさかげんずい]など、幕末に活躍する志士たちを排出した松下村塾のレプリカも立っている。今では学問の神様として人々の信仰を集めている。
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