
池波正太郎真田太平記館
直木賞作家・池波正太郎氏が著した『真田太平記』は、真田昌幸・信幸・幸村父子の戦国乱世での生き様を描いた長編大河小説として有名。『真田太平記』の取材ノートや池波氏の遺愛品などが常設展示されており、切り絵で再現した上田攻めなどの映像が楽しめるシアター、挿絵ギャラリーも併設。真田ファン必見。
- 「上田駅」から徒歩14分
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直木賞作家・池波正太郎氏が著した『真田太平記』は、真田昌幸・信幸・幸村父子の戦国乱世での生き様を描いた長編大河小説として有名。『真田太平記』の取材ノートや池波氏の遺愛品などが常設展示されており、切り絵で再現した上田攻めなどの映像が楽しめるシアター、挿絵ギャラリーも併設。真田ファン必見。
北向観音境内、愛染堂の近くにそびえる樹高22mもの大木。縁結びの霊木として人々から親しまれ、川口松太郎[かわぐちまつたろう]の名作『愛染かつら』は、この木からヒントを得たという説もある。
安楽寺の背後の山腹にあるこの塔は、鎌倉末期に北条氏によって建立されたもの。現在日本に残る、ただ一つの八角の塔だ。建築は中国から伝わった禅宗様建築。外側から一見すると四重に見えるが、一番下の屋根は「裳階」[もこし]とよばれるひさしのようなもの。縁や手すりがどこにもないなどの特徴がある。塔の内部は内陣と呼ばれ、大日如来像が安置されている。
信州の鎌倉と呼ばれる別所温泉には、外湯とも呼ばれる3カ所の共同浴場が温泉街に点在する。吉川英治の小説『新・平家物語』に、木曽義仲が葵御前を連れて逗留したと描かれた露天風呂のある大湯や、真田幸村の隠し湯といわれる石湯、慈覚大師ゆかりの大師湯などがあり、それぞれ異なった趣だ。
天正11年(1583)に真田昌幸が築城、徳川の大軍を2度撃退した歴戦の名城として知られる。関ケ原の合戦後破却されたが、その後、上田に移封された仙石忠政[せんごくただまさ]によって再建。近世後期には松平氏の居城となった。現在は上田城跡公園として整備され、隅櫓[すみやぐら]と石垣などが往時の面影を伝える。
常楽寺、長楽寺(現存しない)と共に、別所三楽寺と称されていた古刹。天長年間(824~834)に開かれ、鎌倉時代に再興されたという歴史ある禅寺。鎌倉時代には鎌倉の建長寺と並ぶ格式が与えられ、北条氏の保護もあって、信州の仏教の中心地となっているという意味の記事が書物に残っている。本堂近くの伝芳堂(開山堂)に安置されている開山・樵谷惟仙[しょうこくいせん]和尚坐像(重要文化財)と、二世・幼牛恵仁[ようぎゅうえにん]和尚坐像(重要文化財)は、玉眼でまるで生きているかのように威厳がある。ともに嘉暦4年(1329)造。
上田城二の丸跡にある博物館。真田、仙石、松平と続いた上田藩の歴史や、上田城、北国街道の宿場に関する資料などを展示。真田昌幸の具足など歴代藩主の甲冑、武具が歴史を物語る。また、この地方の特産品である上田紬[うえだつむぎ]、染屋焼[そめややき]など、収蔵品は14万5000点に及ぶ。ナウマン象の臼歯の化石もある。所要30分。
北向観音にある。はじめに建てられた年代は不明だが、現在の建物は文化6年(1809)、地元の人々によって再建されたもの。この地には、温泉の薬効でさまざまな病気を治すという温泉信仰が昔から根強い。ちなみに「瑠璃」[るり]は、薬師如来を「瑠璃光如来」とよぶことからきている。
万物を生成させる生島神と、万物を満ち足らしめる足島神を祀る信濃の古社。池に囲まれた神島に鎮座する上宮(御本社)の内殿(県宝)には床板がなく、大地そのものの土間が御神体とされている。武田信玄公の願文をはじめとする戦国武将の起請文[きしょうもん](重要文化財)など、貴重な文化財も多数。真田信幸公寄進の下宮(諏訪神社)の社殿、県内最大級の歌舞伎舞台は長野県宝に指定されている。境内の子安社、夫婦欅、家族欅は良縁子宝・安産子育の御神徳がある。
上田城跡の本丸東虎口櫓門の北側、石垣に組み込まれた大石で、柱石として据えたもの。松代に移封される時、真田幸村の兄信之が持ち去ろうとしたが、全く動かなかったという。
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