
甘縄神明宮
和銅年間(708~715)に、豪族染谷太郎時忠が創建した鎌倉最古といわれる神社。祭神は源義家[よしいえ]の持護といわれる天照大御神[あまてらすおおみかみ]。境内はうっそうとした樹木に包まれ、現在は長谷地区の鎮守様として親しまれている。
- 「長谷(神奈川)駅」から徒歩7分/「由比ケ浜駅」から徒歩8分
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和銅年間(708~715)に、豪族染谷太郎時忠が創建した鎌倉最古といわれる神社。祭神は源義家[よしいえ]の持護といわれる天照大御神[あまてらすおおみかみ]。境内はうっそうとした樹木に包まれ、現在は長谷地区の鎮守様として親しまれている。
15世紀中頃、漢陽(ソウル)の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物。建物内には観音菩薩立像を安置している(鎌倉観音霊場23番札所)。
平成28年(2016)に「CASA. Kamakura Espresso」をオープンした建築設計事務所「DOUBLE DOORS ARCHITECTS」が手がけるゲストハウス。建築家のオーナーとインテリアコーディネーターの女性が創り出すくつろぎの空間は、「おしゃれでかっこいい」と評判。
鎌倉時代は材木の積み降ろしで賑わった。また材木座海岸南東部にある和賀江島[わかえのしま]は、現存する日本最古の築港跡。普段は波に洗われているが、干潮時には丸石を積み上げた中洲が姿を現す。
鎌倉駅から徒歩圏内の海岸。滑川から西側にかけて遠浅の広々した砂浜が広がる。稲村ケ崎や逗子マリーナを見ながら散歩することもできる。夕日のスポットとしても有名。
頼朝が伊豆の蛭ケ小島[ひるがこじま]に流された時に、ここの稲荷神が翁の姿で夢枕に立ち、平家討伐の挙兵の助言をした。後に頼朝は、鎌倉幕府を開き、この地に社殿を建てた。名の由来は佐殿[すけどの](頼朝の幼名)を助けたところから付いたといわれる。石段の続く狭い参道には無数の古びた朱塗りの鳥居や赤い幟[のぼり]が林立し、石段を登りつめると杉木立に囲まれて小さな社殿が立つ。トイレなし。
静かな住宅街の一角に、約20基の五輪塔が立ち並ぶ。頼朝の側近だった和田義盛[わだよしもり]一族が、建保元年(1213)に北条義時[ほうじょうよしとき]との戦いに敗れて葬られたところと伝わる。
鎌倉攻めの戦死者を弔うため、建武3年(1336)に新田義貞[にったよしさだ]が創建した浄土宗の寺。山門と本堂に掲かっている『内裏山』[だいりさん]と『九品寺』の扁額は、義貞が書いたものの写し。鎌倉で唯一の新田義貞ゆかりの寺だ。
高徳院鎌倉大仏の観月堂の隣に立つ。女流歌人与謝野晶子が、大仏を見て詠んだ短歌「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼[しゃかむに]は美男におわす夏木立かな」が刻まれている。
養和元年(1181)に源頼朝が打倒平家を祈る祈願所として開いた寺。開山は文覚[もんがく]上人。当時は七堂伽藍を備えた大寺だったが、火災や竜巻の被害にたびたび遭い、現在は本堂と庫裡を残すのみとなっている。本堂内には本尊の十一面観音をはじめ、薬師如来、不動明王など多くの仏像がまつられ、庫裡に申し出れば参観できる。
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