
素玄寺
慶長14年(1609)、2代藩主・金森可重[ありしげ]が、父・長近の菩提寺として建立。曹洞宗の寺で、寺名に長近の法号・素玄をとっている。寛永12年(1635)火災に遭い本堂を焼失。現在ある書院造の流れを汲む主殿造の本堂は、その当時高山城二の丸にあった評定所を移築したものだ。8月9・10日、松倉山の観音堂では絵馬市を開催。円空の不動明王像、軍扇や関ケ原の合戦で使用したという鶴毛陣羽織など、長近の遺品を所蔵。7年に1度の御開帳の際に公開される。
- 「高山駅」から徒歩22分
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慶長14年(1609)、2代藩主・金森可重[ありしげ]が、父・長近の菩提寺として建立。曹洞宗の寺で、寺名に長近の法号・素玄をとっている。寛永12年(1635)火災に遭い本堂を焼失。現在ある書院造の流れを汲む主殿造の本堂は、その当時高山城二の丸にあった評定所を移築したものだ。8月9・10日、松倉山の観音堂では絵馬市を開催。円空の不動明王像、軍扇や関ケ原の合戦で使用したという鶴毛陣羽織など、長近の遺品を所蔵。7年に1度の御開帳の際に公開される。
東山神明神社、錦山神社と並ぶ、東山三社の一つ。創建が養老3年(719)と高山市で最も古い神社といわれ、境内に佇む夫婦杉は歴史を感じさせる。
明治8年(1875)の大火後に建てられた建物で、間口6.4m程度のごく標準的な商家。奥行きは22m程度あり、母屋・中庭・土蔵と並んでいる。大新町周辺は越中街道沿いに開けた商人町であったこともあり、伝統的様式の町家が残っているが、なかでも宮地家は改造を加えていないとても貴重なもの。屋号を「宮地屋」といい、かつては農業と商業を営んでいた。
高山の朝市は陣屋前広場と宮川沿いの2か所で行われる。地元産の野菜や果物、季節の花などが並ぶ、古くは江戸時代から続いている市場だ。飛騨の方言を話すおかあさんたちの会話に耳を澄ませても楽しい。
建物の建築年代は文政9年(1826)と推定され、高山市で最も古い町家の1つ。創建以来ほとんど手を入れていない貴重な住宅として国の重要文化財の指定を受けている。約793平方mの敷地に主屋、米蔵、漬物蔵が立つ。主屋は切妻造の2階建てで、正面の小庇[こひさし]などに高山の町家の原型を見ることができる。松本家は蝋燭[ろうそく]で財をなした家で、米蔵には当時の商売道具類を展示している。
飛騨国分寺境内にある樹齢1200年の大イチョウ(国指定天然記念物)の木。乳の出ない母親がここでお参りをすると、乳の出がよくなるといわれている。昔から、この大イチョウの葉が落ちれると雪が降る、とも言い慣らされている。根元には子育地蔵尊が祀られている。
慶長10年(1605)、飛騨の国守金森長近が、城の鎮守と高山の南側地域の氏神として社地・社殿を寄進した。以来、北の鎮守・桜山八幡宮に対する南の鎮守として崇拝を集めてきた。春の高山祭はこの神社の例祭として行われる。本殿は流造、拝殿は三方に縁の付いた方三間寄棟造になっている。拝殿前の高さ43m、樹齢1000年の大杉は県の天然記念物。
元和4年(1618)、徳川家康の6男で高田藩主・松平忠輝が高山に配流され、8年間を過ごした寺。加藤清正の孫・光正も高山城主金森家の預かりとなり、この寺に身を置いている。寿永元年(1182)頃に天台宗として創建、後に浄土宗に改宗。本尊の阿弥陀如来(市指定文化財)は12世紀後半の造仏で、仏師定朝の作風を表している。ユースホステルとして利用されている庫裏[くり]は、海外からの観光客にも人気。
秋の高山祭の屋台を常設展示。金具・漆など飛騨の匠の技術を駆使した屋台は、11台すべてが国の重要有形民俗文化財に指定。祭りばやしが流れる館内には祭り装束の人形が配され、臨場感たっぷりだ(音声ガイドあり)。高山祭のビデオ上映(10分間)もある。付設の桜山日光館では、大正時代に造られた日光東照宮の10分の1サイズ模型を展示。所要40分。
「馬頭さま」の名で、地元の人々に親しまれる小さな神社。境内には火の見櫓もあり、鎮火の効験があると伝えられる。毎年8月1~15日に開催される恒例の絵馬市では、紙絵馬などを販売。宝の袋を積んだ馬が描かれた絵馬は幸せを呼び込むといわれ、買い求める人が多い。
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