
首振り地蔵(善光寺堂)
清水寺・仁王門左にあるお堂の前に鎮座するお地蔵さん。なんと、このお地蔵さんは首が360度クルリと回る。金運や商売繁盛のほか、縁結びのご利益もあるので、心を込めて回そう。
- 「清水五条駅」から徒歩22分/「祇園四条駅」から徒歩23分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
清水寺・仁王門左にあるお堂の前に鎮座するお地蔵さん。なんと、このお地蔵さんは首が360度クルリと回る。金運や商売繁盛のほか、縁結びのご利益もあるので、心を込めて回そう。
高台寺から清水寺に至る途中の200mほどの坂道。ゆるやかに伸びる二寧坂沿いには、京都らしい町家のショップやカフェなどが軒を連ね、風情たっぷり。二寧坂(二年坂)の名は、産寧坂(三年坂)の手前にあるからという説と、大同2年(807)にできた坂だからという2説がある。産寧坂をはじめ、この二寧坂や八坂の塔のある法観寺、石塀小路などを含む一帯は国の「京都市産寧坂伝統的建造物群保存地区」に選定されている。大正浪漫の画家・竹久夢二とモデルの彦乃がこの界隈に一時住んだことから、二寧坂には「竹久夢二寓居の跡」の碑も立つ。
全国でも珍しい、女人厄除祈祷のある神社として有名。桓武天皇の勅命により藤原冬嗣が創建したといい、その歴史も大変深い。歴代皇后にも篤く信仰される皇后陛下勅願所である。
川端五条からゆるやかに上る五条坂は清水焼の窯元や陶器卸店が並び、8月に開かれる陶器市は全国的にも有名だ。大谷本廟の入口がある東山五条から本格的な坂道が始まり、清水焼の窯元の作品が並ぶ京都陶磁器会館が右手に見える。
正保2年(1645)創業で、京小間物などを扱った大店・柏原孫左衛門の旧宅を使った博物館。伝来の家具や婚礼衣装、茶道具、書画、刀剣など、江戸時代の豪商の暮らしぶりがうかがえる品々を展示。特に婚礼衣装は絢爛豪華。公開は春秋の一定期間だけ。
庚申信仰発祥の地と言われる。現在の本堂は江戸時代に再建されたもので、難病や願いを封じ込めるこんにゃく封じの祈祷などが行われている。
西国三十三カ所第17番札所。空也上人が天暦5年(951)に開いた西光寺を、上人の没後、弟子の中信が六波羅蜜寺と改名した。悪疫退散を念じて空也が刻んだという本尊の十一面観音立像(国宝)は本堂(重要文化財)に安置、12年毎の辰年に開帳される。宝物館には念仏を唱える姿の空也上人像(重要文化財)や平清盛像(重要文化財)など鎌倉時代の彫刻が収められている。
鴨川東岸の川端通よりさらに1本東の「宮川筋」。四条通から五条通までを繋ぐ風情ある通り。京都の花街の一つで、祇園や先斗町と同じように今でも芸妓や舞妓が所属するお茶屋が建ち並ぶ。宮川筋3丁目から6丁目までの一部が京都市の「祇園町南歴史的景観保全修景地区」に指定されていて、散策中には芸妓や舞妓に出会えることもある。宮川町歌舞練場では4月に「京おどり」、10月に「みずゑ會」が開催され、一般の方でも芸妓、舞妓の舞踊を楽しめる。
建仁寺の南を通り、法観寺という禅寺の境内に立つ五重塔「八坂の塔」へと続く約700mの道。特に途中で交差する東大路道から八坂の塔までの200mほどは、道幅が狭く石畳が敷かれたゆるやかな坂となり、正面に八坂の塔を眺めて歩く風情ある通りだ。ゆっくりと歩けば、誰もが写真などで一度は見たことのある風景が楽しめ、京都らしさ満点のポイントとして記念撮影する人も多い。アクセス時間は交通事情により変わることもあるので注意。
八坂塔と呼ばれる五重塔(重要文化財)で知られる。飛鳥時代、聖徳太子の創建と伝え、この地の高句麗系渡来人、八坂氏に関係した寺とみられる。当初は四天王寺式の伽藍配置をとる大寺だったが、現在は民家に囲まれた境内に塔と薬師堂、太子堂が残るのみ。応仁の乱にも焼け残った五重塔は永享12年(1440)足利義教の再建によるもので、高さ46m。初層内部及び二層目までを拝観でき、大日、釈迦、阿しゅく、宝生、阿弥陀の五如来坐像が祭られる須弥壇や、中央に心柱を通した塔の構造を見ることもできる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。