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吉村家は源頼朝の近くにあって功を重ねた武将・佐々木高綱の子孫で、江戸中期には18カ村の大庄屋を務めている。元和元年(1615)の大坂夏の陣の直後に建築された主屋(重要文化財)は、客室部に桃山時代の書院造りの建築様式を一部に留める代表的な豪農の建物だ。5280平方m(約1600坪)の敷地には、主屋、長屋門、土蔵などがある。
近鉄藤井寺駅南側の藤井寺一番街商店街にある藤井寺の情報発信基地。目印は藤井寺オフィシャルキャラクターの井真成[いのまなり]の石像。館内に藤井寺市観光案内所を併設しており、各種の観光パンフレットのほか、大型モニターが設置され、JNTO認定外国人観光案内所にもなっている。おみやげコーナーには、藤井寺の物産をはじめ古墳グッズやまなりくんグッズ、藤井寺関連書籍など、ラインナップが豊富。館内にはトイレや「赤ちゃんの駅」としておむつ交換台や授乳スペースも設けられており、休憩スポットとしてもおすすめ。
古市古墳群の西端に位置する前方後円墳で、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。墳丘長は245m、後円部の径148m、高さ19.5m。築造は5世紀後半。室町時代の山城築城と江戸末期の大規模修復などで墳丘は大きく改変されている。墳丘を囲む周濠の外側には円筒埴輪が出土した周堤があり、古墳の総長は約410mにもなる。埋葬施設の詳細は不明だが、墳丘形状から横穴式石室がある可能性も。被葬者も不明だが、宮内庁が第14代仲哀天皇の「恵我長野西陵」として治定。後円部北側に陪塚と見られる国指定史跡で墳丘長60mの前方後円墳、鉢塚古墳がある。
藤井寺の地名の起源になった古刹。西国三十三カ所第5番札所。百済の辰孫王の子孫である、葛井連の氏寺として創建。我が国最多の1043本の手をもつ、本尊の千手千眼観音菩薩坐像は国宝に指定されている。脇侍の地蔵菩薩像と聖観音像も安置。毎月18日に開帳(料金:500円、時間:9時~16時30分)され、多くの参拝者で賑わう。
古市古墳群の北端に位置する前方後円墳。築造は4世紀後半。墳丘長は210mで、築造時には二重の濠と堤があり、現在宅地となっている外側の周濠を含めると全長は約400mに。「城山」の名は戦国時代に古墳上に城が築かれたことから。明治末期に後円部から竪穴式石槨と長持形石棺が発見され、銅鏡や勾玉、刀剣などが多数出土。内濠から出土した水鳥形埴輪は国指定重要文化財だ。被葬者は不明で、後円部頂のみ宮内庁が「藤井寺陵墓参考地」として治定。国指定史跡で、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産の一つ。墳丘内に津堂八幡神社、内濠跡に花しょうぶ園、菜の花やコスモスが咲く津堂草花園もある。
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