
多胡家老門・大岡家老門
養老館があるあたりは、かつて家老屋敷が集まっていたところで、津和野のシンボル的なスポット。なかでも多胡家は、津和野藩筆頭家老を亀井氏11代にわたって務めた家柄。風格ある武家屋敷門の左右には門番詰所や物見部屋が残っている。隣接して立つ大岡家も家老の家柄。中は一部、津和野町役場として使われている。
- 「津和野駅」から徒歩12分
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養老館があるあたりは、かつて家老屋敷が集まっていたところで、津和野のシンボル的なスポット。なかでも多胡家は、津和野藩筆頭家老を亀井氏11代にわたって務めた家柄。風格ある武家屋敷門の左右には門番詰所や物見部屋が残っている。隣接して立つ大岡家も家老の家柄。中は一部、津和野町役場として使われている。
応永27年(1420)に津和野城主吉見頼弘[よしみよりひろ]が創建した、歴代津和野城主の菩提寺。江戸時代は曹洞宗の西日本本山として栄えた。どっしりとした茅葺き屋根の本堂や経蔵、書院などの建物は、享保14年(1729)に再建されたもの。山門にかかる「覚皇山」の額は、明の帰化僧で水戸光圀[みとみつくに]に迎えられた心越[しんえつ]禅師の書だ。山門左手に森鴎外、本堂裏には大坂夏の陣で徳川家康の孫娘千姫を救出した坂崎出羽守の墓がある。
津和野町出身の画家、安野光雅の美術館。漆喰の白壁に瓦を葺いた酒蔵のような外観が目印。館内は展示室のほか、昭和初期の学校の教室を再現した「昔の教室」や、安野作品をはじめとした絵本、美術書を自由に閲覧できる図書室などがある。津和野の四季折々の夜空を映し出すプラネタリウムも設置。また、自宅のアトリエもそのまま再現されており、ファン必見のポイントとなっている。玄関ロビーの壁面は、安野氏デザインの魔方陣タイルで装飾されている。所要1時間。
亀井家8代矩賢[のりかた]が天明6年(1786)に創設し、西周や森鴎外など多くの人材を輩出した藩校跡。儒学・兵学・医学・数学と、幕末には蘭学も教えていた。当初は下中島堀内にあったが、津和野の大火で焼失、安政2年(1855)にこの地に移された。現在残っているのは武道場と槍術場・文庫のみ。建物内では養老館の歴史、出身者などをパネルで紹介している。島根県指定史跡。所要30分。
イエス・キリストの福音を伝えるために昭和6年(1931)、ドイツ人シェーファー神父が建てた教会。重厚なゴシック建築だが、礼拝堂内部は教会には珍しい畳敷きで、色鮮やかなステンドグラスが印象的だ。隣接する乙女峠展示室では、カトリックの殉教に関する歴史資料を展示している。また、明治初期浦上キリシタンの殉教地「乙女峠」にも美しい記念のマリア聖堂がある。
室町前期に創建された神社で、境内には樹齢540年を超える御神木のケヤキがそびえている。7月の祇園祭の神事として奉納される「鷺舞」の舞台でもある。鷺舞は国指定の無形民俗文化財となっていて、2羽の鷺に扮して舞う姿は古式ゆかしく、かつ優雅だ。毎年6月30日には「輪くぐり神事」が行われ、夏を迎える風物詩として賑わう。
津和野独特の赤瓦と白壁が美しい、江戸時代の筆頭庄屋の屋敷を修復した個人美術館。館内には津和野出身の画家・中尾彰[しょう]と夫人の吉浦摩耶の作品を展示している。太い梁が組まれた民芸調の広い展示室には中尾の連作『林の女人たち』、吉浦の200号の大作『セーヌの女たち』などが並び、スペインの画家、ゴヤの銅版画『闘牛技シリーズ』も見られる。また、美術館本館及び門は国指定登録有形文化財(建物)に登録されている。所要20分。
津和野駅の西、乙女峠に立つ小さな聖堂。明治元年(1868)新政府はキリスト教を禁じ、長崎県浦上の潜伏キリシタン3400人余を全国22ヵ所に流罪とし、拷問により改宗を強制した。このうち153人が乙女峠の光琳寺[こうりんじ]跡に収容され、37人が殉教した。彼らの霊を慰めるため、昭和23年(1948)にドイツ人神父ネーベルが建てたのがこの聖堂。堂内には殉教者を描いたステンドグラスがはめこまれている。5月3日には乙女峠まつりが行われる。
安永2年(1773)、津和野藩主7代亀井矩貞[のりさだ]公が京都の伏見稲荷大社より勧請された社であり、日本五大稲荷のひとつ。稲成と表記されるのは、「成就」=「願いが成る」の意味が込められているためといい、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・願望成就などのご利益を求めて多くの参詣者が訪れる。山腹には成就御礼と御祈願のために奉納された約1000本の鳥居が九十九折れのトンネルとなり、朱塗りの社殿とともに美しい景観を造り出している。11月15・16日の例大祭のころは紅葉も見ごろ。
「三本松城」「蕗城」ともよばれる津和野城は、鎌倉時代に吉見頼行が30年かけて築城した山城。当時は土塁だけであったが慶長6年(1601)に入城した坂崎出羽守が石垣を築き、出丸として織部丸[おりべまる]を増築するなど強化に努め、亀井氏に受け継がれた。建物は明治7年(1874)に取り壊され、現在は東門、天守台、出丸などの石垣が往時の堅固な城の面影を伝え、史跡に指定されている。一帯は木々に覆われて散策によく、秋はモミジの紅葉が美しい。
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