奥平家長屋門
萩藩士として大組(300石)に属していた奥平家の表門は、市の指定有形文化財になっている。建築技法などから19世紀初頭のものとされ、全体の門構えや出格子など往時の形態をよく残している。西に面した表門は寄棟造、桟瓦葺きで、桁行約28m、梁間5mの長い建物。道路に面した西側には4カ所の出格子窓があり、腰部は下見板張り、上部は外大壁。外観のみ見学可。
- 「東萩駅」から徒歩14分
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萩藩士として大組(300石)に属していた奥平家の表門は、市の指定有形文化財になっている。建築技法などから19世紀初頭のものとされ、全体の門構えや出格子など往時の形態をよく残している。西に面した表門は寄棟造、桟瓦葺きで、桁行約28m、梁間5mの長い建物。道路に面した西側には4カ所の出格子窓があり、腰部は下見板張り、上部は外大壁。外観のみ見学可。
わが国の初代内閣総理大臣・伊藤博文が、9歳の時に山口県東部の光市から萩市へ移り住んだのち、14歳で伊藤家に入家し、本拠とした家(史跡)。博文は約13年間をこの家で過ごし、17歳の時、松下村塾に通って吉田松陰の教えを受けた。隣接地には伊藤が東京郊外に建てた別邸が移築・公開されている。
源泉は地下2000mから毎分200リットルの湯量を誇る自家源泉。約2万年前の地下濾過された水が花崗岩の中で、時間をかけて岩石反応を行い形成されたロマンあふれる温泉は、ナトリウム、塩素、カルシウムの含有量が多く、美肌や神経痛、関節痛などに効果があるといわれている。中央に開放的な庭園があり、それを囲む回廊仕立ての通路に趣向を凝らした風呂が並び、歴史ある湯がゆったりと楽しめる。
萩藩の大組士佐世彦七の長男として天保5年(1834)に生まれ、24歳の時に松下村塾へ入門した前原一誠の旧宅。尊皇攘夷運動に参加した前原は後に萩の乱を起こしたが、鎮圧され悲運の最期を遂げた。旧宅は当時のままで、現在も住居として使われているので見学は外観のみ。墓は近くの弘法寺にある。
文政9年(1826)、磁器製作に始まった歴史ある窯元で、独自の粘土や釉薬を使い伝統的な萩焼を継承。現在は文化功労者・吉賀大眉[よしかたいび]氏の孫、吉賀暁[あきら]が継ぐ。登り窯や蹴りろくろ工房が見学でき、陶芸体験も受付ている。萩焼のすべてにふれられるのが魅力。
萩城の築城前に毛利輝元が宿舎にした寺。現在ある表門(重要文化財)は輝元が豊臣秀吉から拝領し、寛永10年(1633)に移築したもの。もともとは京都の聚楽第[じゅらくだい]の裏門として建てられた本瓦葺きの屋根をもつ四脚門で、特に蟇股に豪放な桃山時代の特色が見られる。
地ビールのちょんまげビールを「マリーナ萩」内の工場にて製造している。種類はペールエール・ウィート・アルト・IPAの4つのテイストがある。リキュール類については、柚子の香り豊かなリキュールゆずの誘惑、夏みかんを使った夏みかん酒の2種を取り扱っている。山口県産のだいだいを使った、岸田ポン酢も有名。山口萩ビールは岸田ポン酢と同じ建物。気軽に立ち寄ろう。地ビール各種418円(IPAは500円)容量330ミリリットル瓶、リキュールゆずの誘惑1089円、夏みかん酒1012円容量510ミリリットル瓶。
安政5年(1858)に萩藩が鉄製の大砲製作のために建設した、西洋式金属溶解炉(史跡)。本体は解体され、下部が玄武岩、上部がレンガ積みの高さ11.5mの煙突だけが残る。薩摩藩や水戸藩などがあいついで建設したが、現存するのは、ここと静岡県伊豆韮山の2基のみだ。
萩焼を見て触れて楽しめる観光施設。館内ショップではモダンなテーブルウェアから格式高い茶道具まで幅広い萩焼を手に取って選べる。絵付けや手びねりの陶芸体験ができる工房や、萩焼を使ったランチなどを楽しめるカフェも併設。名産品も取り揃えてあり、旅の土産選びにも便利。
萩藩の教育や人材育成の中枢を担った「萩藩校明倫館」の跡地に立つ旧明倫小学校木造校舎。昭和10年(1935)に建築され、本館は国の登録有形文化財にも登録されている。その建物を「萩・明倫学舎」として改修・整備。本館には観光インフォメーションセンターや萩産食材を使ったレストラン「萩暦」、2号館には世界遺産ビジターセンターや、幕末の歴史・科学技術史の実物資料を紹介する「幕末ミュージアム」、萩の特産品を取りそろえたショップなどがあり、萩の観光起点となる施設。
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