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天保年間(1830~43)に建てられた漆喰壁をもつ屋敷。母屋は格式のある書院造。中庭の池や庭石、踏み石などは当時のまま残っており、その中庭に面して資料館がある。
プロテスタント教会としては同志社礼拝堂についで古く、明治22年(1889)竣工。岡山県指定文化財CLEVE(1890年製造)とYAMAHA(19247年製造)オルガンは必見。撮影やレトロブライダルなどは要相談。
江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを務めた武士の住宅。松山城下の武家屋敷としては寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りで、市の重要文化財に指定されている。
明治37年(1904)建設の旧高梁尋常高等小学校の本館を利用し、江戸末期から昭和初期にかけての生活用具や農耕器具などを展示。階上の講堂は格式ある二重折上格天井を用いており、見ごたえがある。所要30分。
足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つ。本尊は聖観世音菩薩で、備中西国第5番瀬戸内観音第13番の札所でもある。慶長9年(1604)頃に造られたという庭園(名勝)は、小堀遠州作の蓬莱式枯山水様式で、愛宕山を借景に白砂敷きの中央に鶴島、後方に亀島を置き、サツキの大刈り込みで青海の波を表現している。座敷に座って鑑賞することができ、サツキが見ごろになる5月下旬から6月上旬がいちばんの見頃だが、雪をかぶった冬の景観も美しい。毎年秋には小堀遠州を顕彰するお茶会が催される。
臥牛山麓から南に延びる通りの両側に、武家屋敷の白い土塀が続く武家屋敷通り。明治維新以後150年以上になる現在も、屋敷町としての面影を色濃くとどめている。この町並みと紺屋川筋の美観地区が、石火矢町ふるさと村に指定されている。
高梁の美観地区として、ぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む伊賀谷川に沿い、桜と柳の美しい並木が続く。この伊賀谷川はもともと備中松山城の外堀だったもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿神社があり、藩校有終館跡や岡山県下最古の高梁基督教会堂といった見どころも川沿いに多数立ち並ぶ。
明暦3年(1657)、藩主水谷伊勢守勝隆が奥万田町から移築。周囲を取り囲む頑丈な石垣は、備中松山城の防衛線として造られたもの。見学は外観のみとなるが、本堂右の観音堂にある格天井[ごうてんじょう]と船戸は岡山県指定の重要文化財。これは、秀吉が行った文禄の役の総督岡山城主宇喜多秀家が朝鮮に出兵した時の御座船の用材で造らせたもの。
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