
石割桜
盛岡地方裁判所前庭にある、巨大な花崗岩を割って自生する樹齢約350~400年のエドヒガンザクラ。国の天然記念物にも指定されており、市内でいち早く花を咲かせる。例年の見頃は4月上旬~中旬。
- 「上盛岡駅」から徒歩15分/「盛岡駅」から徒歩22分
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盛岡地方裁判所前庭にある、巨大な花崗岩を割って自生する樹齢約350~400年のエドヒガンザクラ。国の天然記念物にも指定されており、市内でいち早く花を咲かせる。例年の見頃は4月上旬~中旬。
明治39年(1906)に日露戦争戦勝記念として、住民たちが高松の池に桜の木を植栽したのが始まり。既に大正10年(1921)頃には桜の名所として、一大観桜地とされたほどの賑わいをみせていた。ソメイヨシノを中心にシダレザクラやヤマザクラ、約1500本の桜が咲く。「日本さくら名所100選」にも選定されている。
大正2年(1913)に盛岡市消防団第五分団の番屋として建てられた典型的大正年間の木造洋風建築。盛岡市の保存建築物に指定されている。
昔この地方に悪い鬼が住んでおり、三ツ石の神にお祈りし捕えてもらった。鬼は二度と悪さをしないと誓い、岩に手形をおしたとされ、これが「岩手」の県名の起源と伝えられる。さんさ踊り発祥の場所とも言われる。3個の巨大な花崗岩は圧倒的。
中津川に架かる上の橋の欄干には、18個の擬宝珠が付けられている。擬宝珠とは手すりや橋の欄干に付ける飾りのこと。青銅製で慶長14年(1609)の銘が刻まれるものが8個、慶長16年(1611)の銘が刻まれるものが10個ある。これほど多く残っているのは全国的にも珍しい。国認定重要美術品でもある。
中ノ橋のたもとに立つ、ルネッサンス風赤レンガの建物。明治44年(1911)に旧盛岡銀行本店として建てられた国の重要文化財で、設計は東京駅の設計者として知られる辰野金吾と、その教え子で盛岡市出身の葛西萬司。辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品。平成24年(2012)8月、「赤レンガの銀行」として親しまれてきたこの建物は、銀行としての営業を終了し、約3年半の及ぶ保存修理工事を経て、公開施設として生まれ変わった。
盛岡出身の建築家・葛西萬司の設計で、昭和2年(1927)に完成した建物。正面に6本の円柱がそびえ、花崗岩に施された石彫りのパターンが重厚な印象を与えている。
東京で処女詩集『あこがれ』を出版した後の明治38年(1905)6月に、石川啄木と妻節子が結婚生活を始めた家。両親、妹が同居する暮らしは窮迫し、わずか3週間で転居したが、ここでの生活ぶりは随筆『我が四畳半』に記されている。木造平屋建ての家は、藩政時代には中級武士の住む武家屋敷だったもので、盛岡市指定有形文化財だ。内部は啄木が住んでいた当時のままに保存され、啄木の文机や書、節子が愛用した琴などを展示されている。
日本初の高等農林学校として明治35年(1902)に開校した旧盛岡高等農林学校。岩手大学農学部附属植物園の緑に囲まれた旧本館校舎は、大正元年(1912)に建てられたもので、木造2階建ての欧風建築は国の重要文化財に指定されている。館内は資料館として公開され、農業に関する学術的な資料や文献などを見ることができ、また、6年間ここで学んだ宮沢賢治に関する資料も展示されている。
北上川の東岸、材木町のメインストリート。賢治ゆかりの光原社、背広姿の賢治が腰掛ける石座など、光や音楽をモチーフにした6つのモニュメントでファンタジックな賢治の世界を堪能できる。4月第2土曜~11月の最終土曜は、路上買物市「よ市」で賑わう。
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