一条恵観山荘
江戸初期に建立された国指定重要文化財。2017年6月から庭園を一般公開するようになり、注目を集めている。敷地内にあり、鎌倉の原風景を臨みながらスイーツやドリンクを楽しめる「かふぇ 楊梅亭[やまももてい]」も人気。
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江戸初期に建立された国指定重要文化財。2017年6月から庭園を一般公開するようになり、注目を集めている。敷地内にあり、鎌倉の原風景を臨みながらスイーツやドリンクを楽しめる「かふぇ 楊梅亭[やまももてい]」も人気。
建久3年(1192)、頼朝が平泉の中尊寺の二階大堂を模して建立した大寺院の跡。往時は壮大な伽藍が立ち並んで隆盛を誇った。発掘調査が行われ、国指定の史跡として指定されている。
長寿寺の横を入っていく細い坂道で鎌倉七切通のひとつ。山ノ内と扇ガ谷を結ぶとともに鎌倉から武蔵方面へ通じる重要な往還だった。切り立つ崖に往時の面影を偲ぶことができる。車が通らないので、散策をのんびり楽しめるのがいい。ヤマアジサイやイワタバコも見られる。
仁治2年(1241)に3代執権北条泰時[やすとき]が自ら現場で指揮をとったと言われる。鎌倉と六浦[むつうら]の港を結ぶ要路で朝夷奈三郎義秀[あさいなさぶろうよしひで]という豪傑が一夜にしてこの切通しを作った、という伝説もある。このあたりは木漏れ日がようやく射し込むくらい木々が茂り、静寂そのものだ。朝夷奈切通へ進む分岐点をそのまま5分ほど直進すると十二所果樹園がある。梅やクリの木が植えられ、2月には梅見を楽しむ人々で賑わう。
稲村ケ崎から極楽寺へ通じる道沿いにある墓。鎌倉攻めの際、新田軍の大将・大館宗氏[おおだてむねうじ]は北条軍の猛反撃にあって敗退。最後まで残った10人の家臣も自刃したという。彼らの霊を弔う石碑が立つ。
壮麗な洋風建築は昭和4年(1929)に華頂博信侯爵邸として建てられたもの。平成18年(2006)国登録有形文化財に登録。庭園は一般公開されている。邸内は年2回(春・秋)の公開。
宝戒寺から滑川を渡り、住宅地の坂道を上り詰めた山間にある史跡。東勝寺は北条泰時が退耕行勇[たいこうぎょうゆう]を開山として創建した北条氏の菩提寺だったが、元弘3年(1333)の新田義貞[にったよしさだ]の鎌倉攻めの際、北条高時をはじめ一族800余名がこの寺に立てこもって火を放ち、自害した。いわば鎌倉幕府終焉の歴史的な場所といえるが、現在は石碑が立つのみとなっている。石碑の先の山腹には、腹切りやぐらとよばれる大きなやぐらがあり、五輪塔や卒塔婆が立つ。
由比ケ浜大通りに立つ赤い頭巾と前掛けを掛けた六体の小さな地蔵。鎌倉時代、このあたりのやや北に刑場があったといわれており、処刑者を弔うために祀られたものだという。地蔵の傍らに「夏草やつはものどもが夢のあと」の松尾芭蕉の句碑がある。
逗子トンネル近くにある鎌倉七切通しのひとつ。鎌倉と三浦方面を結ぶ鎌倉時代の要路であった。岩を削って造られた道で往時の面影を偲ぶことができる。
扇ガ谷から源氏山にぬける、鎌倉七切通のひとつ。急な坂道は途中でS字に曲り、露出した岩肌とおおいかぶさるような樹木が往時の面影を伝えている。新田義貞の鎌倉攻めではこの付近が主戦場となったという。春は山桜、秋は紅葉が美しい。雨天後は滑りやすいので要注意。
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