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朝倉氏の城下町として栄華を極めていた一乗谷は、天正元年(1573)織田信長の攻撃にあい滅亡。昭和42年(1967)から館跡や武家屋敷などが本格的に発掘され、現在278万平方mの範囲が特別史跡に指定されている。遺跡内の4つの庭園は国の特別名勝。一般的な見学コースは、復原町並~朝倉館跡~湯殿跡庭園~中の御殿跡~諏訪館跡庭園。所要1時間。
5代義景の側室・小少将[こしょうしょう]の館跡で、巨石を配した豪壮な庭園は遺跡の中でもっとも規模が大きい。室町時代に作られ、後世の改変を受けていない庭園(特別名勝)。
約270年間、17代にわたり、越前松平家の繁栄の舞台となった福井城。慶長11年(1606)、初代福井藩主で徳川家康の次男・結城[ゆうき]秀康[ひでやす]によって築城された。当時は高さ約37m、4層5重もの雄大な天守閣と三重の堀をもっていたといわれる。現在残る遺構は堀の一部と石垣のみ。天守台下には福井の地名の由来にもなったという説もある井戸跡「福の井」もある。藩主専用の出入口であったとされている山里口御門が復元され、当時の様子を窺い知ることができる。令和元年(2019)5月には、日本遺産に認定された。
北庄城は、織田家一の武将・柴田勝家が築いた城で、9層の見事な天守閣を誇っていたが、天正11年(1583)、羽柴秀吉の軍に攻められ落城。勝家は自ら城に火を放ち、妻・お市の方とともに場内で自刃した。わずか8年余りで消えたため幻の名城ともいわれている。北の庄城址・柴田公園は北庄城の遺構の上にあり、勝家やお市の方、茶々・初・江の三姉妹の像のほか、北庄城に関する遺物や史料を展示する北の庄城址資料館が立つ。隣接する柴田神社には柴田勝家とお市の方を合祀。北の庄城址は令和元年(2019)に日本遺産に認定された。
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