
芭蕉終焉の地
元禄7年(1694)5月中旬、江戸を発った松尾芭蕉は京や伊賀上野を経て、同年9月大坂に入ったが、体調を崩した。容態が悪化した10月5日に南御堂[みなみみどう]の門前にあったといわれる花屋仁左衛門宅に病床を移したが、10月12日夕刻に51歳の生涯を閉じた。今は御堂筋の緑地帯にその終焉地として碑が残されている。近くの南御堂境内には、病床で詠んだ枯野の句碑がある。
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元禄7年(1694)5月中旬、江戸を発った松尾芭蕉は京や伊賀上野を経て、同年9月大坂に入ったが、体調を崩した。容態が悪化した10月5日に南御堂[みなみみどう]の門前にあったといわれる花屋仁左衛門宅に病床を移したが、10月12日夕刻に51歳の生涯を閉じた。今は御堂筋の緑地帯にその終焉地として碑が残されている。近くの南御堂境内には、病床で詠んだ枯野の句碑がある。
大阪城は天正11年(1583)、石山本願寺の跡に豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城を始めた。大坂夏の陣で落城し、徳川政権下で再築されたが落雷で天守閣を焼失、昭和6年(1931)築の現在の天守閣は3代目。館内は歴史博物館で、貴重な資料やジオラマなど、さまざまな角度から大阪城を楽しめる。城内は巨石を組み込んだ壮大な石垣、大手門やいくつもの櫓など、みどころが多い。
福沢諭吉や大村益次郎など多くの先覚者を輩出した、幕末の蘭学者・緒方洪庵が開いた学塾跡。オフィス街に突如、姿を現す町家形式の建物は、日本の蘭学塾の唯一の遺構として史跡・重要文化財にも指定されており、適塾や洪庵に関する資料が展示されている。塾生が蘭和辞典を引き勉強したヅーフ部屋や、刀傷が残る塾生大部屋等、当時の雰囲気を伝える。所要30分。
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