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平清盛は音戸の瀬戸開削の折、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めて難工事を達成したとされる。その功徳をたたえ、供養のため元暦元年(1184)に建立された。
漢学研鑽の場だった江戸時代末期の建物を移築。楼造り(2階建)。呉市の有形文化財に指定されている。珍しい可動壁や、茶室、蘇軾書の「酔翁亭記」が書かれた天井などを鑑賞できる。
1600年前古墳時代の藻塩づくりの遺構を発掘時の状態で復元展示したもの。藻塩の島、蒲刈ならではの遺跡。古代の藻塩づくり体験もできる。要予約5名まで5000円、以降1人1000円。体験の問合せは080-6304-0197松浦まで。
戦艦大和を建造した旧海軍工廠の巨大なドック跡(現JMUの造船所)や旧呉鎮守府庁舎(現海上自衛隊呉地方総監部庁舎)などが見渡せる。
明治23年(1890)、海軍軍人などの埋葬地として開設。戦艦「大和」の戦死者の慰霊碑をはじめ多くの合祀碑、個人碑などが立つ。映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影が行われた場所でもある。
和船の建造は砂浜で行われていたが、倉橋島では18世紀半ばに入江を改良した船渠を考案。潮の干満を利用して船を上げるもので、明治期に西洋型船も修理できるよう修築された。
国の重要伝統的建造物群保存地区。江戸中期の町屋から昭和初期の洋館まで多様な建造物が残り、なまこ壁の美しい商人の屋敷や千本格子のある町屋、路地など、そのノスタルジックな町並みが往時を偲ばせる。若胡子屋[わかえびすや]跡は、最盛期には100人もの遊女を抱えていたと伝えられる茶屋の跡。地区の南端には江戸時代に築かれた石造りの大波止があり、住吉神社の太鼓橋のたもとには高さ6.18mの高灯籠が立つ。
倉橋町のほぼ中央に広がる、「日本の白砂青松100選」や「日本の渚百選」にも選ばれた白砂の海岸と緑の松林。万葉集に収められた歌を記した歌碑、日本最古級の洋式ドック跡、本殿が国重要文化財に指定されている桂濱神社、復元遣唐使船を展示している長門の造船歴史館等もある。また、近くの桂浜温泉館では、広々とした内湯や種類豊富なジェットバス、源泉をそのまま利用した露店風呂などが楽しめる。
町年寄や割庄屋を勤めた多田家(屋号竹原屋)の屋敷跡。「蛤御門の変」の敗北を聞き、討幕派公卿5名が長州へ引き返す途中御手洗に立ち寄り、この竹原屋で二夜を過ごしている。
最盛期には100人の遊女がいたと言われる御手洗地区最大のお茶屋跡。土塀には薩摩から持ち帰った桜島の溶岩が練り込まれ、座敷の天井には屋久杉が用いられるなど、きらびやかな場にふさわしい贅沢な造り。
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