
倉橋島
音戸町と倉橋町からなり、昔は長門島と呼ばれた海上交通の要衝。天平8年(736)に派遣された遣新羅使の一行は、旅の途中、この島に立ち寄って歌を八首詠んでいる(万葉集所載)。
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音戸町と倉橋町からなり、昔は長門島と呼ばれた海上交通の要衝。天平8年(736)に派遣された遣新羅使の一行は、旅の途中、この島に立ち寄って歌を八首詠んでいる(万葉集所載)。
県下屈指の療養温泉が楽しめる入浴施設。趣の異なる石の風呂と海の風呂があり、週ごとに男女が交替する。売店では季節により様々な特産品を取り揃えている。春から夏はお宝トマト、夏から秋では生ちりめん、年末年始は牡蠣とみかんなどの柑橘類。また、生ちりめんや牡蠣料理(期間限定)を提供する食事処や温水プールも併設され充実した施設。
明治23年(1890)、海軍軍人などの埋葬地として開設。戦艦「大和」の戦死者の慰霊碑をはじめ多くの合祀碑、個人碑などが立つ。映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影が行われた場所でもある。
日本で唯一現役の潜水艦を間近に望める公園。海上自衛隊第一潜水隊群司令部前から遊歩道が延びており、旧海軍時代のクレーンも見られる。公園の前には、レンガ倉庫を活用した土産物店「澎湃館[ほうはいかん]」がある。
標高737mの山頂展望台からは、呉市街や江田島はもちろん、広島市街までも一望。特に夜は宝石を散りばめたような夜景が眼下に広がり、圧巻の美しさだ。中四国三大夜景や、夜景100選にも選ばれている。また、まちの光の筋が「くれ」と読めるとそのカップルは結ばれるという伝説も。
和船の建造は砂浜で行われていたが、倉橋島では18世紀半ばに入江を改良した船渠を考案。潮の干満を利用して船を上げるもので、明治期に西洋型船も修理できるよう修築された。
平清盛は音戸の瀬戸開削の折、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めて難工事を達成したとされる。その功徳をたたえ、供養のため元暦元年(1184)に建立された。
倉橋町のほぼ中央に広がる、「日本の白砂青松100選」や「日本の渚百選」にも選ばれた白砂の海岸と緑の松林。万葉集に収められた歌を記した歌碑、日本最古級の洋式ドック跡、本殿が国重要文化財に指定されている桂濱神社、復元遣唐使船を展示している長門の造船歴史館等もある。また、近くの桂浜温泉館では、広々とした内湯や種類豊富なジェットバス、源泉をそのまま利用した露店風呂などが楽しめる。
境内にある松原は、天平8年(736)、遣新羅使一行が下向途中に停泊した際、詠んだ和歌に登場するほど歴史は古い。三間社流造柿葺の本殿が国の重要文化財に指定されている。
本物の潜水艦を見て、乗って、体感することができる日本で唯一のミュージアム。潜水艦と機雷掃海について、無料で見学できる。潜水艦内のベッドや食堂を再現したコーナー、戦時中に実際に使われていた双眼鏡で呉湾を眺めるなど、ここだけの体験ができる。海上自衛隊やオリジナルのグッズが揃ったショップや、カフェもおすすめ。
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