
興聖寺
朝日山の麓にあり、琴坂と呼ばれる緩やかな坂道を進むと中国風の山門に行き着く。春は桜やヤマブキ、秋は紅葉が美しいこの道は、両側を流れる細いせせらぎが琴の音のように響くといわれその名が付いた。曹洞宗開祖の道元が伏見深草に建てたが兵火で焼失。慶安元年(1648)に淀城主の永井尚政により現在地に再興された。禅の修行道場であり、伏見城の遺構という本堂や禅堂、開山堂などが静かに佇む。
- 「宇治(京阪)駅」から徒歩15分/「三室戸駅」から徒歩20分
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朝日山の麓にあり、琴坂と呼ばれる緩やかな坂道を進むと中国風の山門に行き着く。春は桜やヤマブキ、秋は紅葉が美しいこの道は、両側を流れる細いせせらぎが琴の音のように響くといわれその名が付いた。曹洞宗開祖の道元が伏見深草に建てたが兵火で焼失。慶安元年(1648)に淀城主の永井尚政により現在地に再興された。禅の修行道場であり、伏見城の遺構という本堂や禅堂、開山堂などが静かに佇む。
神宝に平安時代の鐙(重要文化財)や男女2体像(馬頭天王と弁財天)があり、男神が馬頭を戴いていることから「馬の神様」として競馬ファンの信仰も篤い。弘文元年(672)の壬申の乱前夜、大海人皇子がこの社の社頭に柳の枝を挿して戦勝祈願。天皇となった後、「柳大明神」の名を与えたという勝運を授ける神でもある。本殿(重要文化財)は三間社流造。室町時代の建築で、向拝の蟇股には馬と柳が彫刻されているのもおもしろい。
宇治川の東岸、大吉山の山裾に鎮座する宇治市の古社。創建年代などの起源は不詳だが、祭神は菟道稚郎子命[うじのわきいらつこ]、応神天皇、仁徳天皇の3柱。平安後期建立で日本最古の神社建築といわれる本殿は、各祭神を祭る一間社流造の内殿3棟を檜皮葺の五間社流造の覆屋の中に納める形式で、鎌倉前期建立の優美な姿の拝殿とともに国宝に指定されている。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の1つであり、清浄な雰囲気が漂う境内には、国指定重要文化財の春日神社などの摂社が立ち、宇治七名水の「桐原水」も湧出している。
日本三禅宗の一つ黄檗宗の大本山で、日本に「いんげん豆」をもたらした明末の渡来僧隠元[いんげん]禅師が江戸時代初期に開いた。明朝時代の中国建築様式を取り入れた建物や、お経に節をつけて読む梵唄に儀式作法など、随所に中国風を伝える。鉄木とも呼ばれる硬いチーク材を用いた大雄宝殿(本堂)は、現存する木造建築の中でも世界に類を見ないもの。創建当初の姿をよく残し、大雄寶殿、天王殿、法堂の三棟は国宝に指定され、その他の伽藍建築群も重要文化財に指定される。境内では隠元が伝えた中国風の精進料理「普茶」3300円~が食せるほか、坐禅1000円や写経2000円の体験も可能。
明星山麓に位置する西国霊場第10番札所。奈良時代の創建といわれ、裏山から出現したとの伝説をもつ千手観音を本尊に祭る。枯山水、池泉、広庭からなる5000坪の大庭園も見事で、5月は2万株のツツジ、6月は1万株のアジサイに彩られる。7~8月のハス、紅葉もまた美しい。
菟道稚郎子命[うじのわきいらつこ]を祭る宇治神社。境内に応神天皇を祭る社が摂社として建てられ、明治時代に分離し宇治上神社となった。鎌倉時代初期建立の本殿(重要文化財)に、菟道稚郎子のほぼ等身大の坐像(重要文化財)を祭る。
平等院の鳳凰堂は正式には阿弥陀堂というが、屋根に鳳凰が載り、また両翼と尾部を延ばした建築は鳥が羽を広げたようにも見えることから、そう呼ばれるようになった。堂内も絢爛豪華で、仏像や壁画などはすべて国宝。本尊阿弥陀如来は仏師定朝[じょうちょう]の最高傑作といわれ、精緻な装飾を施した天蓋も必見。
平安後期の永承7年(1052)に、関白藤原頼通が父道長の別荘を寺に改めたのが始まり。平安貴族が夢見た極楽浄土を形にした鳳凰堂(国宝)は十円玉にも刻まれ、その優美な姿はあまりにも有名。当初は広大な伽藍を誇ったが戦火で大半を焼失。現在残るのは鳳凰堂だけ。また、鳳翔館では国宝の梵鐘や屋根の鳳凰などを展示している。鳳凰堂の内壁を飾った雲に乗って楽器を奏でる雲中供養菩薩像も半数の26体が展示されている。
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