
陸奥総社宮
陸奥国延喜式内社[むつのくにえんぎしきないしゃ]100社を合祀し、国司が祭事を行うために建立した神社。鹽竈[しおがま]神社に詣でる前に参拝しないと、神の加護を得られないといわれている。
- 「国府多賀城駅」から徒歩19分/「塩釜駅」から徒歩25分
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陸奥国延喜式内社[むつのくにえんぎしきないしゃ]100社を合祀し、国司が祭事を行うために建立した神社。鹽竈[しおがま]神社に詣でる前に参拝しないと、神の加護を得られないといわれている。
片倉家の菩提寺で、初代片倉小十郎景綱の墓標と伝わる一本杉も見られる。歴代の正室、片倉家にゆかりの深い家臣の墓などがある。
承和9年(842)参議小野篁[おののたかむら]が多賀城の陸奥国府に陸奥守として着任した際、奥州鎮護の守護神としてこの地に創建されたと伝わる。倉稲魂神[うかのみたまのかみ]、保食神[うけもちのかみ]、稚産霊神[わくむすひのかみ]の三柱の神様をお祀りし、産業開発・五穀豊穣・商売繁昌・海上安全などの信仰を集め、近年では交通安全・厄除開運・安産守護の神様としても崇敬を集めている。
黒岩の虚空蔵様と親しまれる満願寺には、寺の裏手に十六羅漢石像が並び、境内では1690年代に鋳造され天女の姿が彫られたいぼなし鐘も見られる。
大正4年(1915)に建築された、ビザンチン様式のギリシャ正教会系(ロシア正教会)。堂内にあるイイスス・ハリストス(=イエス・キリスト)やマリアの聖像画50点は貴重なもので、茨城県出身の山下りんのイコン画像5点も含まれる。事前に予約すれば、内部の見学もできる。建物・イコンは福島県重要指定文化財。司馬遼太郎著『街道を行く』白河・会津のみちで野バラの教会として紹介。5月最終金~日曜はオープンガーデン(バラ40種以上)で一般公開される。
二本松藩主・丹羽家代々の菩提寺。境内には歴代藩主の墓や、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊16名の墓が残されている。少年隊は12歳から17歳で、維新の夜明けを見ずに散った。
古河歴史博物館にほど近い長谷観音は、正式名は明観山観音院長谷寺という。本堂には明応2年(1493)に初代・古河公方足利成氏が鎌倉の長谷寺から勧請した高さ2mあまりある木造の十一面観世音菩薩立像を安置する。鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷のひとつに数えられる。古河城の鬼門除けとして、かつては歴代の古河城主の祈願所でもあった。現在も初詣や厄払いに多くの人が訪れる。祈願(11時・14時)の際には本堂内の菩薩像を拝観できる。
江戸時代初期、家康、秀忠、家光の三代に仕えた古河城主・土井利勝が開山した寺。現在の本堂は天保3年(1832)に11代城主・土井利位[どいとしつら]が再建したもの。境内には四代将軍家綱の母、お楽の方の供養塔があり、お楽の方が安産を祈願した岩舟地蔵が残る。中庭にある芭蕉塚には「春もやや景色調う月と梅」(非公開)と詠んだ文字が刻まれる。また梵鐘には林羅山の刻文があるなど、歴史的な見所も多い。土井家歴代の墓所でもある。
慈光寺のヒガンザクラは見ごたえアリ。
楼門に「およりの鐘」という梵鐘がある。宇都宮氏が寄進したものとされ、江戸時代には、夕暮れを告げるために鳴らされたという。
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