
浄光明寺
建長3年(1251)、6代執権北条長時[ながとき]が真阿上人[しんあしょうにん]を開山として創建した寺。小さな山門を入ると、正面に白壁も美しい客殿が立つ。収蔵庫にある本尊の阿弥陀三尊像は、土紋[どもん]という鎌倉時代特有の装飾がなされた珍しいもので国の重要文化財に指定されている。また裏山には阿仏尼の子冷泉為相[れいぜいためすけ]の墓(史跡)がある。
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建長3年(1251)、6代執権北条長時[ながとき]が真阿上人[しんあしょうにん]を開山として創建した寺。小さな山門を入ると、正面に白壁も美しい客殿が立つ。収蔵庫にある本尊の阿弥陀三尊像は、土紋[どもん]という鎌倉時代特有の装飾がなされた珍しいもので国の重要文化財に指定されている。また裏山には阿仏尼の子冷泉為相[れいぜいためすけ]の墓(史跡)がある。
神亀元年(724)に行基によって創建されたといわれる歴史ある寺。
円覚寺内にあり、昭和39年(1964)に再建された唐様禅宗様式の建物。本尊の宝冠釈迦如来座像[ほうかんしゃかにょらいざぞう](頭部は鎌倉時代、胴は江戸初期)や、梵天[ぼんてん]像、帝釈天[たいしゃくてん]像など鎌倉時代の貴重な仏像が安置されている。天井に描かれた巨大な『白龍の図』は前田青邨[せいそん]監修、守屋多々志[もりやただし]揮毫によるもの。毎朝、暁天座禅会(料金:無料、時間:6~7時)が開かれる。
建長2年(1250)に運慶が彫像したと伝わる国指定重要文化財の閻魔[えんま]大王を本尊としている。人は死ぬと亡者となり、初七日に秦広[しんこう]王の取り調べを受ける。罪無き亡者はお地蔵様と共に楽園の中を極楽浄土へと49日の旅を勤める。罪有る亡者はその後も七日ごとに取り調べを受け、罰として贖罪の旅を勤める。5回目の七日(35日)では、閻魔大王が以前の4回の取り調べ帳(閻魔帳)を見て、亡者の罰と贖罪の程度により楽園か地獄かのどちらに行くかを決めるといわれている。現世に生き返された運慶が生き返った事を喜び、笑いながら彫像したため閻魔様の顔も笑っているように見えることから、古来「笑い閻魔」と呼ばれている。客間を「龍華珈琲」と称したカフェで、枯山水を眺めながら抹茶椀で提供されるスペシャリティコーヒー(500円~)が味わえる。カフェは不定休。
横須賀線のガード近くに立つ堂宇。源頼朝の長女大姫[おおひめ]の守り本尊といわれる高さ約90cmの木彫りの地蔵が祀られている。大姫は木曽義仲[きそよしなか]の長男義高[よしたか]に嫁いだが、政略のため父頼朝に夫を殺され、悲しみのあまり、病死したという。
玉縄北条氏菩提寺。龍寳寺は昭和26年(1951)の火災により建物のほとんどが焼け、残ったのは山門と鐘楼[しょうろう]だけとなるが、昭和35年(1960)に、大岡実博士の設計で本堂が再建された。
円覚寺内にあり、元祿12年(1699)に建立された茅葺きの建物。僧侶が坐禅を組み、悟りを開いて仏になるための道場。南北朝時代に彫られた運慶[うんけい]派の作と伝わる、薬師如来立像が安置されている。
大船観音寺の境内にある白い巨大な観音像は、優美な顔立ちが印象的。高さ25.39m、重量1915トン。昭和初期に造り始め、戦争で一時中断したが昭和35年(1960)に完成した。小高い丘の上に立ち、東屋から大船の町並みが一望に見渡せる。観音像の胎内には20分の1の原形像が祭られている。
滑川に架かる夷堂橋[えびすどうばし]のたもとにある日蓮宗の寺。配流[はいる]先の佐渡から帰った日蓮上人が身延山[みのぶさん]に入るまで滞在した夷堂の跡に、日出[にっしゅつ]上人が永享8年(1436)に建立した。2世住職日朝[にっちょう]上人の時、身延山から日蓮上人の遺骨を持ち帰り、分骨堂に納めた。以来東身延と称されて栄えたことから、「日朝さま」ともよばれている。境内奥の墓地には、名刀正宗を生み出した刀工岡崎五郎正宗[おかざきごろうまさむね]と、2代目貞宗[さだむね]の墓と伝えられる石塔がある。御守のにぎり福600円が人気。
円覚寺内にあり、山門右手の急な石段を登った高台の鐘楼に吊されている。正安3年(1301)、9代執権北条貞時が鋳造させたもので高さ259.4cm、口径142cmの大きさは鎌倉一。常楽寺、建長寺の鐘と共に鎌倉三名鐘とされている。
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