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国指定史跡の日野江城跡
島原半島一帯を支配した肥前有馬氏代々の居城跡。元亀2年(1571)に領主となった有馬晴信は、龍造寺氏の侵攻抑止のため、キリシタンとなってイエズス会から支援を受けた。以後、晴信はキリシタン大名として、豊臣秀吉が伴天連追放令を出した後も宣教師らを庇護。ここにキリシタン文化が花開いた。晴信は城を改修・改築し、庭園や茶室も造られたが、江戸初期に入封した松倉氏により日野江城は廃城とされた。丘陵地の先端、標高80mほどの城山山頂に本丸跡があり、自然の地形を利用したニノ丸、三ノ丸、出丸などが残る。五輪塔や宝医印塔などの墓石を利用した石段や、南方独特の技術で造られた切石の石垣、掘立建物跡などの遺構、大量の土師器や瓦、陶磁器なども出土しており、国の史跡に指定されている。