玉島を領した備中松山藩主の御座所として天明年間(1781~1789)に建築された同藩に諸役として仕えた柚木家の邸宅。薬医門(御成門)、式台付玄関、数奇屋風書院等から成り、幕末に朝敵となった備中松山藩の全責任を一身に負い、部下の助命、藩の安泰、戦火の回避を嘆願し、自らの命を賭した藩主護衛隊長熊田恰[くまたあたか]節死の処が当時のまま遺されている。国登録の有形文化財である。
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