もとは聖武天皇の勅願で行基菩薩が本尊を刻み、金光明寺と称していたが、弘法大師が巡錫した際、水不足に悩む住民のために井戸を掘ると、霊水が湧き出たことから黄金井とし、寺を金泉寺と名付けた。伝説の井戸は地蔵堂の中に残る。縁起では亀山法皇が信仰を寄せ、堂塔の再興を図ったことから、山号は亀光山と称した。法皇は勅願の道場として経蔵を造った。天正10年(1582)に長宗我部勢の兵火によって大半を焼失、現在の建物は後に再建されたもの。江戸時代には阿波の学問寺として多くの僧を育てた。
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