
都立小山田緑地
4つの園地からなり、全体で東京ドーム約9個分の敷地面積を誇る公園。雑木林に大小の池、原っぱに田んぼなど懐かしい多摩丘陵の里山風景が散策しながら楽しめる。みはらし広場からの眺めは「関東の富士見100景」に選ばれている。
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4つの園地からなり、全体で東京ドーム約9個分の敷地面積を誇る公園。雑木林に大小の池、原っぱに田んぼなど懐かしい多摩丘陵の里山風景が散策しながら楽しめる。みはらし広場からの眺めは「関東の富士見100景」に選ばれている。
教育センターの駐車場を利用して開催される新鮮な農産物の朝市。町田市から意欲があると認められた認定農業者と、町田市名産品の各業者も参加して自らの手で対面販売をしている。早朝にもかかわらず多くの客で賑わうため、早々に売り切れになる商品も多い。販売開始から30分くらいまでが狙い目だ。
今井谷戸から山崎町を経て野津田に至る鎌倉街道の峠路の左側にあり、街道を往来した旅人たちののどを潤したといわれている。深さ約4mの表土部分は現在、風雨で崩れ原形を留めていないが、地表下約1.5mから下は直径70cmの円筒型の原形が保たれている。この井戸を含む七国山一帯は古道の面影を偲ぶことができる町田市では数少ないエリアといえる。
町田リス園は障がい者自立支援法の就労支援B型施設で、約200匹のタイワンリスが放し飼いにされているレジャー施設。タイワンリスには、貸出の手袋をつけて直接エサをあげることが出来る。他にもシマリスやニホンリス、ウサギやモルモット等の小動物を展示しており、土・日曜、祝日にはモルモットのふれあいイベントを開催。月末には巣箱作りワークショップも開催(夏期・雨天時は中止)。作成した巣箱は、実際に園のタイワンリスたちに使われる。天気が良ければ、放し飼い広場で大きなケヅメリクガメの散歩シーンを見ることもできるかも。
恩田川流域の丘陵頂部にある縄文時代と弥生時代の集落跡。今から約5500年前の縄文前期の竪穴住居址4軒、約1900年前の弥生中期の竪穴住居址7軒が、昭和42~43年(1967~68)の藤の台団地建設の際に調査され、その後、団地や住宅街に囲まれた遺跡公園として整備された。現在は縄文、弥生の住居が各1軒ずつ復元されており、市民の憩いの場となっている。
旧荻野家は、江戸時代末期、荻野衛門が町田市三輪町(旧字・上三輪)に医院として建てた旧家で、現在、都の有形文化財に指定されている。茅葺き屋根の建物は一見、当時の一般的な農家と変わりがないように見えるが、一歩足を踏み入れた内部は、4つの部屋と土間からなり、調剤室として使用されていたと思われる部屋には薬棚が残るなど、医院としての面影を色濃く残している。改造された部分も少なく、また保存状態も良好なため、幕末当時の町家造りの趣ある雰囲気を今に伝えている。
下三輪の椙山神社[すぎやまじんじゃ]南側に開ける幅50~60m、奥行き約1.3kmの細長い谷戸の中央部北側に南東に突出した支丘陵の先端にある横穴墓群。昭和58~59年(1983~84)の調査で9基が見つかり、人骨の一部や副葬品(装身具、金銅製太刀の部品など)が出土した。現道の防護壁がすこし邪魔しているが、低地からは丘陵崖面に造られた横穴墓群の全体像がよくわかる。
明治時代に起こった自由民権運動は、実は町田を含む多摩地方が大きな拠点の一つとなっていたが、江戸末期の安政6年(1859)、現在の町田市野津田に生まれた村野常右衛門は若き頃からその洗礼を受けた著名な運動家で、後に政界に転じて衆議院議員となり、当時の首相・原敬の右腕とまで称されるようになった。この建物は江戸時代末の創建当時は茅葺きであったが、常右衛門が大正13年(1924)に当時としては珍しい鉄板葺きにするなど、改築を行っている。
丘陵地における住居跡発見の第1号として大正15年(1926)に国史跡に指定された遺跡。恩田川流域の丘陵地に牢場、稲荷山、八幡平の3つの遺跡があり、牢場遺跡では約3900年前の縄文後期の敷石住居跡、稲荷山遺跡では縄文後期から晩期の配石遺構、八幡平遺跡では約4500年前の中期末の敷石住居跡が発見された。
町田街道の近くにもかかわらず、静けさと自然あふれる公園。湿生地、田んぼなどの観察を楽しめる。忠生がにやら自然館(入館無料、9時~16時30分)では、園内の動植物の観察会を定期的に開催。
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