
大妻籠
妻籠宿を南に行ったところにある集落で、古民家が軒を連ねる。ひときわ大きな袖卯建[そでうだつ]のある出梁[だしばり]民家が風情豊かな景観を作り上げている。
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妻籠宿を南に行ったところにある集落で、古民家が軒を連ねる。ひときわ大きな袖卯建[そでうだつ]のある出梁[だしばり]民家が風情豊かな景観を作り上げている。
光徳寺の石段の下に建てられた小さな祠に、地蔵尊の寝姿が浮き出ている自然石が祭られている。文化10年(1813)に光徳寺住職中外[ちゅうがい]和尚が、蘭[あららぎ]川から運んできて安置したもの。4月23・24日の例祭が近づくと夜露で石が濡れてくるため汗かき地蔵ともよばれ、玉の汗を流して迷える女性を救うといわれている。
妻籠の町に溶け込む木造建築の風情ある妻籠郵便局。その内部に小さな郵便史料館が併設されている。明治4年(1871)から現在までのポストの模型が並べられ、その変遷が一目で分かる。昔の郵便物、配達夫の服装や持ち歩いた逓信[ていしん]ラッパなども展示されている。所要7分。
木曽川に注ぐ柿其川は、約8kmにわたって続く、滝や淵の渓谷美がすばらしい。河口にあたる、柿其峡は切り立った白い花崗岩[かこうがん]と藍色の水が織りなす景観が見事。さらに林道を行き、柿其温泉を過ぎると、江戸時代の農家を移築した休憩処、杣[そま]の家がある。岩の水路を通って落ちる牛ケ滝へはここから徒歩15分ほど。十二兼駅から歩くと約1時間30分のハイキングコースだ。
南木曽町博物館のひとつで、宿駅が制定されてから代々妻籠宿の本陣・庄屋を務めた島崎家の邸宅。藤村の母ぬいの生家でもある。明治20年(1887)代に一度取り壊されたが、江戸時代後期の間取り図を元に再建された。島崎家の居住と、大名が泊まった御上段の間や家来が使った部屋まで、往時の姿のまま忠実に復原されている。
妻籠宿見学の中心となる施設で、南木曽町の歴史や生活、自然を紹介。現存する脇本陣奥谷(重要文化財)と復原された妻籠宿本陣、歴史資料館の3館で構成される。所要総合45分。
西に伊勢山、東に南木曽岳と、緑深い遠景に囲まれて、南北に伸びる妻籠の旧街道。緩やかに上下する道筋を歩けば、古めかしく、どこか懐かしい木造家屋たちが時の旅路へと誘ってくれる。伝統建築家屋は奥行きが深く、出梁造りの2階建てになっているのが特徴で、江戸時代の旅籠や民家だった建物は、和カフェにみやげ物店、展示施設などになり、その姿を今に残している。武士や公家が宿泊や休憩に利用した本陣は、平成7年(1995)に江戸時代後期の間取り図をもとに復元した建物。平成13年(2001)に国の重要文化財に指定された脇本陣奥谷は、檜をふんだんに使い城郭を模して建てられたもの。ぜひ見学しにいこう。
町並みを見下ろす高台にある、臨済宗の古刹。開山は明応9年(1500)。享保10年(1725)、林家によって建立された本堂は、うぐいす張りの廊下や山岡鉄舟の扁額、尾張徳川家の籠などがある。本堂横の庫裏[くり]には、天保年間に住職によって考案された車付きの籠を収蔵。入口石段下の祠に、女性を救うと伝えられる延命地蔵が祭られている。4月の祭礼が近づくと昼夜の気温差で石が夜露に濡れることから、汗かき地蔵の別名がある。本尊薬師如来は、慶長4年(1599)京の仏師・木山によるもの。中部49薬師第21番札所。
南木曽町博物館のひとつ。妻籠宿の脇本陣・造り酒屋であった林家の屋敷で、「奥谷」とは林家の屋号。現在の建物は木曽五木[ごぼく]の禁制が解かれた明治10年(1877)に建築され、総檜造り。当時の粋を集めて建てられた。島崎藤村の初恋の人「おゆふさん」の嫁ぎ先でもあり、敷地内の土蔵には肖像画や愛用品、藤村から送られた書などゆかりの品が展示されている。また、平成13年(2001)6月15日付で南木曽町博物館で「脇本陣奥谷」として公開されている「林家住宅」の主屋、文庫蔵、土蔵、侍門が国の重要文化財に指定された。
大妻籠にある古民家で、17世紀中頃に建てられた、県内の民家でも有数の歴史ある建物。昭和53年(1978)県宝に指定された。
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