
丸山千枚田
紀和町の山間に広がる棚田。「一目千枚」と言われ、1340枚が連綿と連なる光景は壮観だ。慶長6年(1601)には、2200枚以上の水田があったという記録も残る。人が作りながら自然と調和した類い稀な風景が人の心に美しさと感動を与えてくれる。
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紀和町の山間に広がる棚田。「一目千枚」と言われ、1340枚が連綿と連なる光景は壮観だ。慶長6年(1601)には、2200枚以上の水田があったという記録も残る。人が作りながら自然と調和した類い稀な風景が人の心に美しさと感動を与えてくれる。
熊野市木本町から熊野川の河口まで20数km続く、日本一長い砂礫海岸。海岸線沿いの防風林の松林は、かつて新宮城主・水野重仲が遠州(現静岡県)浜松から移植したものという。「御浜小石」と呼ばれる砂礫は、山間部から長い時間をかけて熊野川を下り、熊野灘の荒波で磨かれた丸石。色とりどりで艶がある。春にはアカウミガメが上陸し、丸石をかき分けて産卵する。
『日本書紀』にも登場する日本最古といわれる神社「花の窟神社」の門前に位置する道の駅。熊野古道や花の窟などの観光情報や熊野の魅力を伝える拠点「お綱茶屋」を道の駅として登録しており、木の温もりが感じられる瓦屋根の木造施設内には、売店や観光案内所、資料展示コーナー、食事処、休憩所などを設置。食事処では古代米「いざなみ米」を使用したうどんやおにぎり、さんま寿司やめはり寿司などの地元名物も揃う。売店には、手造りの吟醸酒「熊野三山」や神川町産の「那智黒石」や熊野杉を使った工芸品など魅力あふれる品も。
ケンケン漁は、船を走らせ擬似餌(ルアー)を引っぱり、カツオをはじめサバやハマチなどを釣り上げる漁法。タコかご漁は、前日にエサを入れて仕掛けておいた特殊なかごを引き上げ、タコやカワハギなどを獲る漁法。地元の漁師さんの指導により体験でき、獲れた魚はすべて持ち帰りできる。体験期間は6月~9月末まで。
観光筏下りで知られる北山川が熊野川に合流する地点付近の小船集落に広がる梅林。県道740号沿いの北山川河畔は芝生広場となっており、シーズンにはテントを張り、キャンプをする人も見られる。また、集落のある土手側には梅林が長く延びている。1.2haの敷地には、大粒で果肉が厚く梅の最高級品種とされる南高梅をメインに、約650本の梅の木が植えられている。早春には白い梅花が咲き誇り、集落には梅の香りが漂う。枝切りや水やりをして丁寧に育て、収穫された梅の実は紀州特産の梅干しになる。
その名の通り、獅子の形をした奇岩。地盤の隆起と黒潮の侵食によってできたもので、高さ25m、周囲210m。その勇壮な姿は、海に向かって吠えるライオンのようだ。世界遺産、国天然記念物に指定。
古くは奈良時代から昭和53年(1978)までの歴史を持つ紀州鉱山と、近世は国内屈指の鉱山町でもあった紀和町。熊野市紀和鉱山資料館では各時代の様子をジオラマ展示し、トロッコや掘器具などの実物を展示している。また国内最大の紀和の大蛍石を蛍光実演しているほか、世界各地の鉱石群も展示。エレベーターに地下への疑似体験の演出や、マネキンによる会話劇の展示もあり、日によっては鉱石の採取体験や解説案内なども。近隣の観光地の展示や、敷地内には無料の鉱山乃足湯もある。
高さ45m、幅80mの巨石を御神体とする神社。『日本書紀』に登場する国生み神話の伊弉冉尊[いざなみのみこと]を葬った有馬村は、この花の窟であるといわれている。毎年2月2日と10月2日の例大祭には岩の頂から縄をかける、お綱かけの神事が行われる。
土蔵風の建物の中、この地に伝わる考古・民具・文献など6000点余の史料を収蔵。土器や槍、火縄銃などのほか、2階には近世の農林漁業に関する民俗資料(道具類)を展示している。
国道42号沿いに立つウッディーな外観が目印。
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