
藤原宮跡
持統8年(694)、日本初の都城として完成した藤原京。最近の調査研究では、平城京や平安京を上回る規模だったともいわれる。その中心である藤原宮には、内裏[だいり]、国家儀式の場である大極殿[だいごくでん]などがあった。広大な宮跡は現在特別史跡として保存され、大極殿跡には土壇が残る。宮跡からは北に耳成山[みみなしやま]、東に香具山[かぐやま]、西に畝傍山[うねびやま]を望める。
- 「耳成駅」から徒歩22分/「畝傍駅」から徒歩24分
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持統8年(694)、日本初の都城として完成した藤原京。最近の調査研究では、平城京や平安京を上回る規模だったともいわれる。その中心である藤原宮には、内裏[だいり]、国家儀式の場である大極殿[だいごくでん]などがあった。広大な宮跡は現在特別史跡として保存され、大極殿跡には土壇が残る。宮跡からは北に耳成山[みみなしやま]、東に香具山[かぐやま]、西に畝傍山[うねびやま]を望める。
古代豪族十市県主の一族で、代々、惣年寄筆頭を務めた家。慶安3年(1650)に再建された今井町最古の建物で、民家の法隆寺といわれる。天正3年(1575)、織田信長本陣となり、自治権を認められ裁判を行なう陣屋となった。国指定重要文化財。
世界遺産登録を目指している特別史跡、藤原宮跡の一角にあり、設置されている藤原京1000分の1復元模型は圧巻。展望室からは藤原宮の朝堂院跡[ちょうどういんあと]や名勝大和三山の一つ、香具山を臨むことができる。藤原京跡から出土した土器や瓦などの展示はもちろん、コンピューターグラフィックスによる藤原宮の再現ビデオも上映している。また、来訪の記念に古代衣装を身にまとった顔出しパネルでの撮影もできる。
天武9年(680)、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願して発願。文武2年(698)にほぼ完成。ここは当初の薬師寺があった場所で、本薬師寺跡と呼ばれる。金堂と東西両塔の基壇や礎石が、田んぼに囲まれて残るだけだが、伽藍配置は平城京薬師寺とまったく同じ。金堂跡の巨大な礎石群が、かつての大寺を想像させる。
大和三山のひとつ香久山の南麓丘陵部に位置し、豊かな自然が広がる公園。公園に併設されている橿原市昆虫館では、標本や生態の展示、放蝶室などが見られる。
身体健全、ぼけ封じ、厄除けに御利益があるとされる、高野山真言宗の寺院。イングリッシュローズなど3800種ものバラが咲き誇ることでも有名。春と秋にはバラまつり、夏には大和の夏の風物詩として有名な風鈴まつり、12月1日~GWまでは提灯まつりも開催される。
畝傍山[うねびやま]の麓に位置し、第一代天皇の神武天皇と皇后を祀る。神武天皇が畝傍山東南の橿原宮で即位したという『日本書紀』の記述に基づき、明治23年(1890)に創建。本殿(重要文化財)は京都御所の内侍所[ないしどころ](賢所[かしこどころ])を移築したもので、手前に内拝殿、外拝殿が立つ。神域は約53万平方mにおよび、玉砂利が敷き詰められた内拝殿前の外院斎庭も清々しい。
玄関先に吊された杉玉からもわかるように、18世紀後半から現在まで続く造り酒屋。屋号は「上品寺屋[じょうぼんじや]」。江戸末期には今井にも数軒の造り酒屋があったが、今も残るのはここだけ。屋根の一方が切妻、一方が入母屋という珍しい造りで、2階に座敷を備える。2階見学は要予約。
本町筋の中央にあり、18世紀初期頃の町屋と資料にもとづき当初の姿に再現した館。
「米忠[こめちゅう]」の屋号で、代々金物商と肥料商を営んでいた家。本瓦葺きで18世紀中ごろの建築とみられている。土間には煙り返しが付くなど農家風の印象。太い格子や蔀戸[しとみど]など建具もすばらしい。
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