
吉田寺
御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
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御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
法隆寺西院伽藍の入口にある国宝の門。天智9年(670)の火災後の再建で重層入母屋造。上層勾欄の卍崩しや人字形の割束[わりづか] の意匠などは飛鳥時代の建築様式を伝えている。門の中央正面にはエンタシス様式の柱があり、その両側に各2戸の入口がある珍しい造りだ。左右に立つ金剛力士像(国指定重要文化財)は和銅4年(711)の造立で、寺の門にある金剛力士像としては最も古い。中門から左右に延びる回廊(国宝)は、金堂と五重塔を囲んで経蔵(国宝)と鐘楼(国宝)、大講堂(国宝)へと繋がり、立ち並ぶエンタシス柱が美しい。
推古30年(622)に山背大兄王[やましろのおおえのおう]が、父聖徳太子の病気平癒を願って建立。土地の名にちなんで三井寺[みいでら]ともいわれた。法隆寺式伽藍配置をとり、七堂伽藍を完備していたが、創建当時の建物はない。法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔として美しさを讃えられた三重塔は1944年(昭和19)に雷火で焼失し、昭和50年(1975)に昔ながらの工法で再建された。講堂には、薬師如来坐像(重要文化財)と虚空蔵[こくぞう]菩薩立像(重要文化財)の2体の飛鳥仏と6体の平安仏を安置する。
法隆寺西院伽藍北西の高台にある国宝の八角円堂。養老2年(718)、光明皇后の母である橘夫人の発願により、行基が創建したと伝えられている。現在の堂は、建長2年(1250)の再建で、鎌倉時代の堂々とした気風を感じさせる。堂内中央に安置された天平後期作の本尊・薬師如来坐像(国宝)は、「峯の薬師」とも呼ばれ、高さ246cmの脱活乾漆造の大きな仏像だ。毎年2月初旬に行われる西円堂修二会[しゅにえ]の鬼追式(追儺会)は、節分の豆まきの原形という。
法隆寺西院回廊の西に置かれた国宝の僧坊。三経院の三経とは勝鬘経・維摩[ゆいま]経・法華経のことで、現在も毎年夏の3カ月間に西室で講義が行われている。現在の建物は、寛喜3年(1231)に再建された。正面5間、側面19間と細長く、切妻造本瓦葺き。正面の広縁と階段上に檜皮葺きの庇を設ける。南側3分の1が三経院で、蔀戸[しとみど]を用いるなど寝殿造の影響が強く残っている。
法隆寺の西院と東院の間に立ち、「中ノ門」ともよばれる国宝の門。切妻造、本瓦葺き、三間一戸の八脚門。三棟造[みつむねづくり]という奈良時代の門の典型的な型式で建てられており、門内で天井を見上げればその構造を確認できる。昭和の修理の際、平安時代末の藤原時代に現在の位置に移建されたことが分かった。
法隆寺の絵殿・舎利殿の後方にある東院の講堂。夢殿と同じころの創建とみられる。聖武天皇の夫人であった橘古那可智[たちばなのこなかち]の住宅を仏堂に改造したもので、天平期の住宅遺構として貴重。正面7間、側面4間。本瓦葺きの緩やかな切妻屋根を上げる。側壁の虹梁[こうりょう]と蟇股[かえるまた]の架構が美しい。天井は化粧屋根裏で、天蓋が吊られ、床は当時としては珍しい板敷。堂内には3組の阿弥陀三尊像(重要文化財)など多くの仏像を安置する。
法隆寺夢殿の北側に立つ建物。鎌倉期の再建で、正面7間のうち東3間が聖徳太子が2歳の春に合掌した掌中から出現したという舎利を安置する舎利殿。中央1間は伝法堂への通路で、西3間が太子の一代記を描いた障壁画をおさめる絵殿。現在、絵殿東面(現在の相殿)に祀られていた太子像(重要文化財)は、大宝蔵院百済観音堂に安置されている。
大和三門跡寺院のひとつ。聖徳太子の母、穴穂部間人[あなほべのはしひと]皇后の御所を寺にしたと伝えられ、斑鳩尼寺とも呼ばれた。創建時以来の尼寺で、天文年間(1532~54)に尊智女王が入寺してからは門跡寺院となった。本堂に安置されている菩薩半跏像(国宝)は飛鳥時代後期の作。右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿に、気品のある微笑みを浮かべている。聖徳太子の死を悲しむ妃橘大郎女[たちばなのおおいらつめ]が、死後の世界の様子を刺繍させた天寿国繍帳[てんじゅこくしゅうちょう](国宝・複製)も見られる。
法隆寺西院伽藍にあり、当初は仏教の学問の研鑽や法要を行う施設として建立された。創建年代は不明であるが、延長3年(925)に雷火で焼失し、正暦元年(990)に元の位置、大きさで再建。入母屋造の本瓦葺きで、屋根の勾配が緩やかで木割は太く、おおらかな手法をもつ。初め正面8間の堂であったが、後世さらに西に1間拡張され、現在の正面9間、側面4間の姿になった。藤原時代初期の遺構としては数少ない大建築で、堂内には講堂再建当時の作とみられる木造薬師三尊像(国宝)や木造四天王像(国指定重要文化財)、論議台、金堂模型などがある。
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