
法隆寺 東大門
法隆寺の西院と東院の間に立ち、「中ノ門」ともよばれる国宝の門。切妻造、本瓦葺き、三間一戸の八脚門。三棟造[みつむねづくり]という奈良時代の門の典型的な型式で建てられており、門内で天井を見上げればその構造を確認できる。昭和の修理の際、平安時代末の藤原時代に現在の位置に移建されたことが分かった。
- 「法隆寺駅」から徒歩23分
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法隆寺の西院と東院の間に立ち、「中ノ門」ともよばれる国宝の門。切妻造、本瓦葺き、三間一戸の八脚門。三棟造[みつむねづくり]という奈良時代の門の典型的な型式で建てられており、門内で天井を見上げればその構造を確認できる。昭和の修理の際、平安時代末の藤原時代に現在の位置に移建されたことが分かった。
法隆寺東院伽藍の本堂である八角円堂。行信僧都が聖徳太子の遺徳をしのんで、天平11年(739)に建てたといわれる。屋根の宝珠と露盤が五重塔初層西面の舎利塔に似ているところから、聖徳太子の廟という説もあり、厨子の本尊・救世観音像(国宝)は、樟の一木造、漆箔の飛鳥仏で、聖徳太子の等身像といわれる。秘仏として白布に厚く包まれていたとされ、光背・台座ともにほとんど傷みがない。明治17年(1884)、アメリカ人フェノロサと岡倉天心によって像の全容が明らかになった。救世観音像の厨子は毎年、春と秋に特別開扉。
法隆寺にある建物で、綱封蔵とは全僧尼を統括する僧官である僧綱[そうごう]が開閉する蔵のこと。綱封は勅封に次ぐ格式があった。これは高床の宝庫で、正面9間、側面3間の寄棟造本瓦葺き。中央3間を吹き抜け、両端を蔵とした形式で、扉は吹き抜け部に向かい合って開く双倉。外側は塗壁、内側は厚い板壁となっている。校倉とは違った形式の蔵として、極めて貴重な遺構だ。
法隆寺の絵殿・舎利殿の後方にある東院の講堂。夢殿と同じころの創建とみられる。聖武天皇の夫人であった橘古那可智[たちばなのこなかち]の住宅を仏堂に改造したもので、天平期の住宅遺構として貴重。正面7間、側面4間。本瓦葺きの緩やかな切妻屋根を上げる。側壁の虹梁[こうりょう]と蟇股[かえるまた]の架構が美しい。天井は化粧屋根裏で、天蓋が吊られ、床は当時としては珍しい板敷。堂内には3組の阿弥陀三尊像(重要文化財)など多くの仏像を安置する。
法隆寺西院伽藍にある、日本最古の五重塔。基壇上からの総高は31.5m。各層の平面の漸減率が大きく、第5層は初層の半分になっている。屋根は本瓦葺きで、ゆるやかな勾配の美しい線を描く。相輪は全高のほぼ3分の1。初層内陣には心柱を囲むようにして須弥壇[しゅみだん]が築かれ、有名な塑像群像(国宝)がある。北面は釈迦の入滅、東面は文殊菩薩と維摩[ゆいま]居士の問答、西面は舎利分割、南面は弥勒浄土をそれぞれ表現している。
法隆寺西院回廊の西に置かれた国宝の僧坊。三経院の三経とは勝鬘経・維摩[ゆいま]経・法華経のことで、現在も毎年夏の3カ月間に西室で講義が行われている。現在の建物は、寛喜3年(1231)に再建された。正面5間、側面19間と細長く、切妻造本瓦葺き。正面の広縁と階段上に檜皮葺きの庇を設ける。南側3分の1が三経院で、蔀戸[しとみど]を用いるなど寝殿造の影響が強く残っている。
大和三門跡寺院のひとつ。聖徳太子の母、穴穂部間人[あなほべのはしひと]皇后の御所を寺にしたと伝えられ、斑鳩尼寺とも呼ばれた。創建時以来の尼寺で、天文年間(1532~54)に尊智女王が入寺してからは門跡寺院となった。本堂に安置されている菩薩半跏像(国宝)は飛鳥時代後期の作。右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿に、気品のある微笑みを浮かべている。聖徳太子の死を悲しむ妃橘大郎女[たちばなのおおいらつめ]が、死後の世界の様子を刺繍させた天寿国繍帳[てんじゅこくしゅうちょう](国宝・複製)も見られる。
法隆寺境内の鏡池のほとりに、正岡子規の「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という有名な句碑が立つ。明治28年(1895)秋、東大寺近くに宿をとった子規は、夕食後、宿の人に御所柿を所望し、次々に食べた。一度に7つ、8つ食べるほどの柿好きだったといい、「奈良の宿 御所柿食へば 鹿が鳴く」の句も。奈良に滞在中、法隆寺を訪れたらしく、この時、子規28歳。35年の短い生涯に100ばかりの柿の句を残したが、死の前年に詠んだ句は「柿くふも 今年ばかりと 思ひけり」。柿の日の10月26日は子規が「柿くへば ~」の句を詠んだ日だとか。
奈良県生駒郡斑鳩町にある法隆寺および法起寺の寺院建造物群で構成される平成5年(1993)登録のユネスコの世界遺産。聖徳太子によって607年に創建された法隆寺の現伽藍は、西院と東院、子院群から構成されており、なかでも7世紀後半から8世紀初頭に再建された西院の金堂、五重塔、中門、回廊は、木造建築としては世界最古。中国六朝時代の影響を受けた仏教伝来直後の仏教建築物だが、その頃の仏教建築は中国や朝鮮にも現存せず、東アジア一帯の仏教寺院の歴史をうかがい知ることができる貴重な建造物である。また子院の寺院群は、12世紀から18世紀ごろにかけて徐々に建てられたもので、日本の仏教建築様式の変遷を今日に伝えている。
聖徳太子の遺命により岡本宮を山背大兄王[やましろのおおえのおう]が寺に改めたと伝わる。池に美しい姿を映す三重塔(国宝)は706年(慶雲3)の完成で、現存するわが国最古の三重塔。
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