打吹公園
倉吉のシンボル打吹山は高さ204m、「森林浴の森100選」に選定されており、スダジイなどの原生林におおわれ、まさに自然の宝庫といえる山。麓にある打吹公園は、明治37年(1904)、大正天皇が皇太子の際に行啓を仰ぎ奉るために開園したもので、以来100年以上市民の憩いの場になっている。今では「さくら名所100選」にも選定される山陰随一の桜の名所として知られ、多種多様の桜が咲き誇る。
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倉吉のシンボル打吹山は高さ204m、「森林浴の森100選」に選定されており、スダジイなどの原生林におおわれ、まさに自然の宝庫といえる山。麓にある打吹公園は、明治37年(1904)、大正天皇が皇太子の際に行啓を仰ぎ奉るために開園したもので、以来100年以上市民の憩いの場になっている。今では「さくら名所100選」にも選定される山陰随一の桜の名所として知られ、多種多様の桜が咲き誇る。
倉吉市の複合文化施設として整備された14haの敷地には、文化・観光・産業・娯楽・歴史機能を中心としたさまざまな施設がある。倉吉交流プラザや公園、アミューズメント施設があり、エースパック未来中心には文化芸術の総合発信地として大小のホールを完備。鳥取県を代表する二十一世紀梨をテーマにした「エースパック なしっこ館」も人気施設の一つ。令和7年(2025)年3月には「鳥取県立美術館」がオープンし、さらに充実した鳥取を代表する大型複合施設になった。
延文年間(1356~61)、伯耆国守護山名時氏の長子師義[もろよし]が打吹城を築いた山。標高204m、三角形の秀麗な山容は倉吉のシンボルになっている。城郭そのものは、元和元年(1615)の一国一城令で廃城。現在は特にスダジイを中心に、照葉樹の原生林におおわれた自然豊かな山だ。展望台のある山頂まで遊歩道が続いているほか、山麓には桜とツツジがみごとな打吹公園、長谷寺、運動公園などが点在する。
絵をそのまま織り込んだような複雑な模様が美しい倉吉絣は、今から200年前稲嶋大助が、花・島・山・水・花鳥山水の絵柄を織り出し普及させたもの。現在では絣の美しさに惹かれたものたちが、先輩の人々にその技法を学び正藍染め手くぐり手織りの工程で一本一本の糸に心を込めて織りあげて倉吉絣として受け継いでいる。
白壁土蔵群のほど近くに立つ寺。慶長10年(1605)の建立。倉吉三万石(実質は四千石といわれている)に移封された8年後、29歳で他界した安房国(千葉)館山城の最後の城主・里見安房守忠義[さとみあわのかみただよし]公と8人の家臣八賢士の墓がある。忠義公と八賢士は滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルといわれる。
天平勝宝8年(756)、行基が建立したと伝えられる寺院で、国の重要文化財に指定された木造地蔵菩薩半跏像を祭る。檜の寄木造で、高さは3.6mと巨大。像内の支柱には、この像が鎌倉時代の造立であり、寛永17年(1640)、地元の人々によって再興されたことが記されている。顔立ちや上体の量感に鎌倉時代の特徴がある。
鳥取県と岡山県の県境近くの山里に湧く関金温泉の「せきがね湯命館」は、ラジウム温泉が気軽に楽しめる日帰り入浴施設。男女別の内湯と露天風呂では、8種類の浴槽が楽しめる。食事処「白金食堂」では、地元食材を使ったメニューが揃う。
倉吉に江戸時代から伝わる張子の人形、はこた人形を販売、1100円~。顔描き体験1300円~。
元禄12年(1699)建立の寺院で、古来から伝わる占星術をアレンジした占いが評判。戦国時代には戦や政治などに利用したという占いで、生年月日から星を算出し、自分の性格や健康、対人関係などを知れるほか、相手の星を知ることで相性も占える。
倉吉淀屋は宝暦10年(1760)に建築された倉吉に現存する最古の町家建築。江戸時代に栄えた大阪の豪商「淀屋」にゆかりがあるとされる。主屋と棟続きの付属屋からなり、主屋は柱や梁・垂木などの構造材の木割りが極めて太く、素朴で豪快な内部空間を支えている。天保9年(1838)に建てられた付属屋は玄関・式台が設置され、柱・長押には面皮材が用いられるなど、数寄屋風の書院造りの建物である。建物は保存修理され、内部を見学することができる。倉吉市指定文化財。
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