
海雲山 晧臺寺
慶長13年(1608)、飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建された。当時の長崎はキリシタンが多く、亀翁はここで仏法復興のために奮闘した。境内には歴代長崎奉行やシーボルトの娘楠本イネなど長崎で活躍した著名人の墓が多くあり、また高台からの景観も見事なため、多くの人々が訪れる。
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慶長13年(1608)、飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建された。当時の長崎はキリシタンが多く、亀翁はここで仏法復興のために奮闘した。境内には歴代長崎奉行やシーボルトの娘楠本イネなど長崎で活躍した著名人の墓が多くあり、また高台からの景観も見事なため、多くの人々が訪れる。
旧長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)は、爆心地から約600mのところにあり、原爆による爆風をまともに受けた高さ1.8mの石造りの門柱が前へ9cmずれ、約10度傾いている。
風頭公園内の龍馬の像の隣にある。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の一節を抜粋した文学碑。長崎に込めた龍馬の期待が伝わってくる。
原爆落下中心地に立つ黒御影石[くろみかげいし]の石柱の碑。この碑の約500m上空で原爆が炸裂、半径2.5kmに及ぶ地域を壊滅させた。そばには爆心地から北東約500mの場所にあって壊滅した浦上天主堂の遺壁の一部が移築されている。
長崎駅から東方1kmの場所に位置し、展望台や多目的広場、遊戯広場などがある公園。春には約700本のソメイヨシノやヤマザクラの花見が楽しめる。
浦上街道沿いにある山王神社の鳥居。元は一の鳥居から四の鳥居まであったが、原爆の爆心地から南東約900mに位置したため、昭和20年(1945)8月9日の原爆で2つが倒壊。ほぼ原型のまま残っていた一の鳥居は後に交通事故で倒壊し、片方の柱だけになった二の鳥居のみが残っている。原爆の強烈な熱線で上部が黒く焼け、爆風によって片方の柱と鳥居上部が破壊された二の鳥居は、残った笠石の半分を一本柱で70年以上も支え続けている。国指定史跡「長崎原爆遺跡」の一つでもある。
近代日本の代表的洋画家・野口彌太郎の作品を約40点展示。年2回程度展示替えを行っている。
「けんか凧」で有名な風頭公園そばにあり、凧あげの際に使うハタを製造・販売する店。店内2階にある長崎凧資料館(入館無料、9~17時、無休)では各種のハタに関する資料を展示するほか、店主の小川暁博の作業場もあり、竹の骨組みに赤・青・白の和紙を貼り合わせて作る作業工程が見学できる。凧製作と凧あげの体験教室は1800円~(予約制)。一銭凧300円~。
北村西望[せいぼう]作の平和祈念像がある公園。像の高く掲げた手は原爆の脅威を、水平に伸ばした手は平和を象徴、閉じた目は戦没者の冥福を祈っている。園内には平和の泉があり、世界各国から寄贈された平和を象徴するモニュメントがある。原爆投下時、この地にあった浦上刑務所の壁の一部も残っている。
延宝5年(1677)に建立された寺で、興福寺・福済寺・崇福寺と共に「長崎四福寺」ともよばれ、福を呼ぶ寺として人気が高い。欄干など、いたる場所に唐寺の風情が色濃く漂い、長崎一大きな梵鐘や鬼瓦を埋め込んだ塀などみどころも多い。鎖国令により15歳で国外追放された、混血児のジャガタラお春の碑があることでも知られている。
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