
加藤神社
熊本城内に鎮座する加藤神社は、熊本発展の礎となった加藤清正公(セイショコさん)をお祀りしている。創建時は錦山神社と称していたが、明治42年(1909)に現社名に改称。また、昭和37年(1962)に現在地に遷宮。境内から見上げる熊本城の大小天守と宇土櫓の眺めは絶景。
- 「熊本城・市役所前駅」から徒歩8分/「通町筋駅」から徒歩10分
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熊本城内に鎮座する加藤神社は、熊本発展の礎となった加藤清正公(セイショコさん)をお祀りしている。創建時は錦山神社と称していたが、明治42年(1909)に現社名に改称。また、昭和37年(1962)に現在地に遷宮。境内から見上げる熊本城の大小天守と宇土櫓の眺めは絶景。
明治時代、英語教師として熊本に赴任した小泉八雲の最初の住居。『知られざる日本の面影』『東の国から』を執筆した地としても有名。所要20分。熊本市指定文化財。
承平5年(935)創建。平将門・藤原純友の乱において、国家鎮護のために京都の石清水八幡宮を勧請して建立したと伝えられる。境内には朱塗りの楼門や社殿があり、応神天皇・神功皇后・住吉大神を祀る。毎年9月には随兵行列や馬追いなどが行われる例大祭の神幸式が斎行され、約1万7000人が奉仕する。
熊本市の水前寺成趣園を境内地にもつ神社。明治10年(1877)に西南の役で熊本の街は焼け野が原となった。旧熊本藩士たちは、藩主の御霊を祀り、御恩徳によって人心を安定させ、熊本の街を発展させようとの思いから、明治11年(1878)、肥後細川家に縁の深い水前寺成趣園に社殿を創建した。肥後細川家初代細川藤孝(幽斎)公ほか三柱を主祭神とし、歴代藩主とガラシャ(二代忠興公の妻)、あわせて十五柱が祀られている。
熊本市街南東に位置する、長さ2.5km、周囲6kmの江津湖の一帯を整備した広大な湧水公園。ちびっこプールがある水前寺児童公園をもつ水前寺地区をはじめ、熊本県立図書館や芭蕉園がある出水地区、湖の景観が素晴らしい上江津湖畔の上江津地区と下江津湖畔の下江津地区、芝生広場と湧水広場で遊べる広木地区の5地区から成る。遊歩道や、民間のボートハウスなども整備され、夏の花火大会は盛大。約600種の動植物が生息する自然学習の場としても知られる。下江津地区に隣接して熊本市動植物園もある。
九州に数少ない体験型の防災センター。地震・台風・火災体験のコーナーなど、楽しみながら防災についての必要な知識を身につけることができる。消防士の服を着て記念写真を撮ることもでき、家族みんなで楽しめる施設。
昭和27年(1952)に開業した熊本生まれの百貨店。現在は本館・東館・New-S・Wing館の4館で構成され、合計で約7万平方mの売り場面積を誇る。特撰ブランドから食料品まで揃い、幅広い層に支持されている。
熊本が生んだ文化人・徳富蘇峰や蘆花の薫陶を受け、生涯一記者としての誇りを貫いた後藤是山の記念館。俳誌『東火』を主宰し、与謝野鉄幹・晶子夫妻をはじめ、歌人などとの交流も深かった。
日本三名城のひとつといわれ、国の特別史跡に指定されている。加藤清正によって関ケ原の戦いの前には現在の位置に築城され始め、本丸は慶長12年(1607)に完成した。城郭は広さ約98万平方m、周囲5.3kmにも及ぶ。明治10年(1877)の西南戦争の際、大天守などが焼失したが、石垣や宇土櫓(国指定重要文化財)をはじめとする各櫓が往時を伝える。今の天守閣は昭和35年(1960)に再建された。
熊本日日新聞社の設立45周年事業として、昭和62年(1987)に開館した日本最初の新聞博物館。「新聞の出来るまで」製作工程コーナーや、グーテンベルクの印刷機(レプリカ)、国産ワープロ1号機などの展示がある。幕末から現代までの歴史的事件を新聞で紹介した新聞と時代コーナー、新聞と広告コーナーなどの展示も見どころ。
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