志賀直哉文学碑
『暗夜行路』などを書いた大正・昭和の小説家・志賀直哉。城崎温泉は、大正2年(1913)、電車にはねられて負傷した志賀直哉が療養した温泉地として知られる。その際に執筆した『城の崎にて』の言葉が記された文学碑が城崎文芸館前に配されている。城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つだ。
- 「城崎温泉駅」から徒歩5分
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『暗夜行路』などを書いた大正・昭和の小説家・志賀直哉。城崎温泉は、大正2年(1913)、電車にはねられて負傷した志賀直哉が療養した温泉地として知られる。その際に執筆した『城の崎にて』の言葉が記された文学碑が城崎文芸館前に配されている。城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つだ。
関西の人気温泉地、城崎温泉の名物は外湯巡り。6つある外湯(さとの湯は長期休業中)のひとつ「御所の湯」は、京都御所風の豪華な造り。滝の流れる美しい庭園を露天風呂から愛でたい。
一の湯と同じく、城崎温泉街のほぼ中央にある外湯。子授安産の子授けの湯ともいわれ、中国の名勝・西湖から移植された柳の木の下から湧き出たことから命名された。格子のある趣のある小さな建物で、浴場内にはふんだんに木が使われ、木の香りが心地いい。男女別の浴場は、城崎の外湯の中で一つだけの湯船が深いのが特徴だ。入口と建物の横には足湯がある。
外観は燈籠、六角形の窓は玄武岩をイメージしたといい、破風造りの独特デザイン。泉源から地蔵尊が出たことから命名され入り口前庭園に地蔵尊を祀っている。衆生救いの湯とも呼ばれ、家内安全・水子供養の霊験あらたか。浴場は男女別に2つ、内湯があるだけだが、湯船は大きくゆったりと浸かれる。
城崎温泉の温泉街に建てられた24点の文学碑のうちの一つ。「一の湯」横の足湯近くに配された句碑には、昭和5年(1930)に城崎を訪れ、大正・昭和に活躍した歌人・与謝野寛・晶子の短歌が夫婦仲よく紹介されている。足湯を楽しみながらチェックしよう。
伝承館には職人の作品約40点と、明治~昭和初期の作品約200点が展示されている。麦わら工芸は精緻な技術力が必要であり、その芸術性の高さは訪れる人すべてに感銘を与える。白壁の土蔵をそのまま生かした建物は近世の建築を今に留める。
温泉街のほぼ中央、大谷谿に架かる王橋脇に位置。桃山式の歌舞伎座を思わせるような城崎温泉の象徴ともいえる大きな外湯だ。江戸中期の医師・香川修徳が温泉の効用を讃え、修徳の著『薬選』に当時「新湯」といわれていたこの湯を「天下一の湯」として紹介したことから名付けられた。開運招福の湯で、男女別の浴場に自然の岩盤を生かした半露天の洞窟風呂が名物になっている。足湯もある。
今までにない独創的なみやげ物やグルメ、ヒーリングショップまで、バラエティに富んだ全10店舗が集結する商業空間が城崎温泉街の真ん中にあり。外湯めぐりの途中に立ち寄るのもおすすめ。
城崎温泉の大師山中腹、温泉寺本堂の東側に立つ。「温泉寺の仏教美術」をテーマに収蔵物を展示。六体地蔵尊や薬師如来坐像、28体の破損仏などの仏像や掛け軸などの温泉寺所蔵の古文化財をはじめ、平安時代以降の仏教関係の文化財や貴重な仏教美術を鑑賞しよう。
城崎温泉と日本海を一望にできる、標高231mの大師山。その麓から山頂まで高低差200mを全長676mのロープウェイが約7分で結ぶ。ロープウェイの開業は昭和38年(1963)。複線交走式で、途中には全国でも珍しい中間駅があり、下車して古刹温泉寺の拝観や寺所蔵の仏像を安置する温泉寺宝物館の見学ができる。山頂駅で展望台から城崎温泉の温泉街や円山川、日本海までの絶景を満喫した後は、カフェで一服を。
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