
吉田寺
御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
- 「法隆寺駅」から徒歩22分
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御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
東室は法隆寺西院回廊の東側の国宝の僧坊。天平以前の創建とみられ、当初は正面4間・側面18間だったが、保安2年(1121)の改造で南3分の1を改め、聖徳太子を祭る聖霊院とした。現在の建物は、鎌倉時代後期の弘安7年(1284)にやや規模を大きくして新造されたもので国宝。切妻造の前面に付く吹放しの庇[ひさし]、蔀戸[しとみど]など、平安時代の寝殿造の対屋[たいのや]形式を連想させる。内部には3つの厨子があり、中央の厨子には聖徳太子坐像(国宝)を安置。3月下旬の「お会式」で厨子が開帳される。
豪華な副葬品が出土したことで知られる藤ノ木古墳の近くに、平成22年(2010)3月に開設した。きらびやかな馬具や冠など藤ノ木古墳の副葬品のレプリカが展示され、石棺のレプリカ内に発掘時の映像が映し出される。
法隆寺にある世界最古の木造建築物。重層入母屋造本瓦葺きで、2重基壇の上に立つ。初層は裳階[もこし]を付けた正面5間、側面4間であるのに対し、上層は正面4間、側面3間と引き締まった感じを与える。昭和24年(1949)解体修理中に下層が炎上し、白鳳時代に描かれたと推定される壁画が焼損した。インドのアジャンター石窟壁画と並び称されたこの焼損壁画は現在収蔵庫に保存されており、現金堂の壁面は再現である。堂内には聖徳太子の冥福を祈って造られたという止利[とり]仏師作の釈迦三尊像(国宝)を安置。ほかに薬師如来坐像(国宝)、四天王立像(国宝)など10数体の仏像がある。
300mほどの松並木の参道の先に位置する法隆寺伽藍全体の国宝の総門。三間一戸、入母屋造の八脚門で、木鼻[きばな]や花肘木[はなひじき]に大仏様の影響がみられる寺院建築様式の門。法隆寺創建時は中門前の石段の位置にあったが、長元4年(1031)に現在地に移され、室町時代の永享7年(1435)に焼失、永享10年(1438)に再建、今日に至る。四隅の軒反りの曲線が美しい本瓦葺きの屋根と、法隆寺七不思議の一つで、踏むと水難除けになると伝わる門前の「鯛石」は見逃さないように。
大和川・寺川・曽我川など9つもの川が合流する場所に立ち、農耕と治水の神として信仰を集める古社。境内には、春日造の朱塗りの社殿が鎮座している。2月11日の御田植祭[おたうえさい]は「砂かけ祭」と呼ばれ、参拝者も一緒になって砂を激しくかけあう奇祭。河合町指定無形民俗文化財に指定。
法隆寺の大宝蔵院南側にある建物で、様式から天平時代の建立とみられる。正面7間、側面4間、細殿は正面7間、側面2間切妻造の簡素な建物。組物、小屋組などに上代構架技法の特徴をよく伝える。もともと政所という法隆寺の寺務所であったが、平安時代に入り僧が食事をする場所として使われるようになった。堂内に塑造薬師如来像(重要文化財)を安置する。
法隆寺の絵殿・舎利殿の後方にある東院の講堂。夢殿と同じころの創建とみられる。聖武天皇の夫人であった橘古那可智[たちばなのこなかち]の住宅を仏堂に改造したもので、天平期の住宅遺構として貴重。正面7間、側面4間。本瓦葺きの緩やかな切妻屋根を上げる。側壁の虹梁[こうりょう]と蟇股[かえるまた]の架構が美しい。天井は化粧屋根裏で、天蓋が吊られ、床は当時としては珍しい板敷。堂内には3組の阿弥陀三尊像(重要文化財)など多くの仏像を安置する。
法隆寺東院伽藍の本堂である八角円堂。行信僧都が聖徳太子の遺徳をしのんで、天平11年(739)に建てたといわれる。屋根の宝珠と露盤が五重塔初層西面の舎利塔に似ているところから、聖徳太子の廟という説もあり、厨子の本尊・救世観音像(国宝)は、樟の一木造、漆箔の飛鳥仏で、聖徳太子の等身像といわれる。秘仏として白布に厚く包まれていたとされ、光背・台座ともにほとんど傷みがない。明治17年(1884)、アメリカ人フェノロサと岡倉天心によって像の全容が明らかになった。救世観音像の厨子は毎年、春と秋に特別開扉。
法隆寺境内の鏡池のほとりに、正岡子規の「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という有名な句碑が立つ。明治28年(1895)秋、東大寺近くに宿をとった子規は、夕食後、宿の人に御所柿を所望し、次々に食べた。一度に7つ、8つ食べるほどの柿好きだったといい、「奈良の宿 御所柿食へば 鹿が鳴く」の句も。奈良に滞在中、法隆寺を訪れたらしく、この時、子規28歳。35年の短い生涯に100ばかりの柿の句を残したが、死の前年に詠んだ句は「柿くふも 今年ばかりと 思ひけり」。柿の日の10月26日は子規が「柿くへば ~」の句を詠んだ日だとか。
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