
吉田寺
御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
- 「法隆寺駅」から徒歩22分
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御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
法隆寺西院伽藍の入口にある国宝の門。天智9年(670)の火災後の再建で重層入母屋造。上層勾欄の卍崩しや人字形の割束[わりづか] の意匠などは飛鳥時代の建築様式を伝えている。門の中央正面にはエンタシス様式の柱があり、その両側に各2戸の入口がある珍しい造りだ。左右に立つ金剛力士像(国指定重要文化財)は和銅4年(711)の造立で、寺の門にある金剛力士像としては最も古い。中門から左右に延びる回廊(国宝)は、金堂と五重塔を囲んで経蔵(国宝)と鐘楼(国宝)、大講堂(国宝)へと繋がり、立ち並ぶエンタシス柱が美しい。
法隆寺西院回廊の西に置かれた国宝の僧坊。三経院の三経とは勝鬘経・維摩[ゆいま]経・法華経のことで、現在も毎年夏の3カ月間に西室で講義が行われている。現在の建物は、寛喜3年(1231)に再建された。正面5間、側面19間と細長く、切妻造本瓦葺き。正面の広縁と階段上に檜皮葺きの庇を設ける。南側3分の1が三経院で、蔀戸[しとみど]を用いるなど寝殿造の影響が強く残っている。
法隆寺の西院と東院の間に立ち、「中ノ門」ともよばれる国宝の門。切妻造、本瓦葺き、三間一戸の八脚門。三棟造[みつむねづくり]という奈良時代の門の典型的な型式で建てられており、門内で天井を見上げればその構造を確認できる。昭和の修理の際、平安時代末の藤原時代に現在の位置に移建されたことが分かった。
法隆寺の絵殿・舎利殿の後方にある東院の講堂。夢殿と同じころの創建とみられる。聖武天皇の夫人であった橘古那可智[たちばなのこなかち]の住宅を仏堂に改造したもので、天平期の住宅遺構として貴重。正面7間、側面4間。本瓦葺きの緩やかな切妻屋根を上げる。側壁の虹梁[こうりょう]と蟇股[かえるまた]の架構が美しい。天井は化粧屋根裏で、天蓋が吊られ、床は当時としては珍しい板敷。堂内には3組の阿弥陀三尊像(重要文化財)など多くの仏像を安置する。
法隆寺夢殿の北側に立つ建物。鎌倉期の再建で、正面7間のうち東3間が聖徳太子が2歳の春に合掌した掌中から出現したという舎利を安置する舎利殿。中央1間は伝法堂への通路で、西3間が太子の一代記を描いた障壁画をおさめる絵殿。現在、絵殿東面(現在の相殿)に祀られていた太子像(重要文化財)は、大宝蔵院百済観音堂に安置されている。
大和三門跡寺院のひとつ。聖徳太子の母、穴穂部間人[あなほべのはしひと]皇后の御所を寺にしたと伝えられ、斑鳩尼寺とも呼ばれた。創建時以来の尼寺で、天文年間(1532~54)に尊智女王が入寺してからは門跡寺院となった。本堂に安置されている菩薩半跏像(国宝)は飛鳥時代後期の作。右足を組み、右手の指を頬に触れようとする半跏思惟の美しい姿に、気品のある微笑みを浮かべている。聖徳太子の死を悲しむ妃橘大郎女[たちばなのおおいらつめ]が、死後の世界の様子を刺繍させた天寿国繍帳[てんじゅこくしゅうちょう](国宝・複製)も見られる。
法隆寺にある世界最古の木造建築物。重層入母屋造本瓦葺きで、2重基壇の上に立つ。初層は裳階[もこし]を付けた正面5間、側面4間であるのに対し、上層は正面4間、側面3間と引き締まった感じを与える。昭和24年(1949)解体修理中に下層が炎上し、白鳳時代に描かれたと推定される壁画が焼損した。インドのアジャンター石窟壁画と並び称されたこの焼損壁画は現在収蔵庫に保存されており、現金堂の壁面は再現である。堂内には聖徳太子の冥福を祈って造られたという止利[とり]仏師作の釈迦三尊像(国宝)を安置。ほかに薬師如来坐像(国宝)、四天王立像(国宝)など10数体の仏像がある。
300mほどの松並木の参道の先に位置する法隆寺伽藍全体の国宝の総門。三間一戸、入母屋造の八脚門で、木鼻[きばな]や花肘木[はなひじき]に大仏様の影響がみられる寺院建築様式の門。法隆寺創建時は中門前の石段の位置にあったが、長元4年(1031)に現在地に移され、室町時代の永享7年(1435)に焼失、永享10年(1438)に再建、今日に至る。四隅の軒反りの曲線が美しい本瓦葺きの屋根と、法隆寺七不思議の一つで、踏むと水難除けになると伝わる門前の「鯛石」は見逃さないように。
法隆寺東院伽藍の本堂である八角円堂。行信僧都が聖徳太子の遺徳をしのんで、天平11年(739)に建てたといわれる。屋根の宝珠と露盤が五重塔初層西面の舎利塔に似ているところから、聖徳太子の廟という説もあり、厨子の本尊・救世観音像(国宝)は、樟の一木造、漆箔の飛鳥仏で、聖徳太子の等身像といわれる。秘仏として白布に厚く包まれていたとされ、光背・台座ともにほとんど傷みがない。明治17年(1884)、アメリカ人フェノロサと岡倉天心によって像の全容が明らかになった。救世観音像の厨子は毎年、春と秋に特別開扉。
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