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天正13年(1585)、筒井定次が築城。慶弔13年(1608)、筒井に代わって伊賀に移封になった築城の名手、藤堂高虎が大改修をし、西側に日本屈指の高さを誇る石垣を築いた。五層の天守閣は竣工直前の慶長17年(1612)、暴風雨のため倒壊した。現在の天守閣は昭和10年(1935)、木造で復興したもので伊賀市指定文化財。内部に藤堂家ゆかりの武具や調度品、著名人の書画など多数の資料を展示。城跡は国の史跡指定を受けている。
初代徳三郎氏が組紐の技術を習得し、明治35年(1902)に伊賀で開業したのが伊賀組紐の始まり。みやげ用の組紐を販売するほか、三代目の指導でブレスレットやキーホルダーなどの組紐体験もできる(所要20分)。
時代劇で有名な「伊賀越仇討」の舞台となった所。ことの発端は寛永7年(1630)、備前岡山藩の渡辺源太夫[わたなべげんだゆう]が河合又五郎[かわいまたごろう]に惨殺されたことにある。実弟を殺された渡辺数馬[かずま]は、義兄の荒木又右衛門の助太刀を得て、4年後の11月7日の早朝、死闘ののち、ここで又五郎一行を討ち果たし、見事本懐を遂げる。
芭蕉生誕300年を記念し、昭和17年(1942)に上野公園内に建てられた。ユニークな形は芭蕉翁の旅姿を表す。丸い屋根は笠、八角形のひさしは袈裟、柱は行脚する翁の杖、俳聖殿の額は顔をイメージしているという。
文政4年(1821)、津の藩校、有造館[ゆうぞうかん]の支校として第10代藩主藤堂高兌[とうどうたかさわ]が建築。講堂、御成門、表門、有恒寮[ゆうこうりょう]、小玄関、台所棟などが残されている。なかでも72畳の広さを誇る講堂は圧巻だ。
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