
益田岩船
橿原市の白橿南小学校西側の丘陵地の中腹に、東西に約11m、南北に約8m、高さ約4.7mの大きさの益田岩船がある。「巨大な石碑の台石だった」「占星術のための天体観測台だった」「横口式石槨の建造途中でひびが入ったから放棄された」など様々な推測はあるが、誰が何のために造ったのかは謎のまま。
- 「岡寺駅」から徒歩14分/「飛鳥駅」から徒歩18分
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橿原市の白橿南小学校西側の丘陵地の中腹に、東西に約11m、南北に約8m、高さ約4.7mの大きさの益田岩船がある。「巨大な石碑の台石だった」「占星術のための天体観測台だった」「横口式石槨の建造途中でひびが入ったから放棄された」など様々な推測はあるが、誰が何のために造ったのかは謎のまま。
道を挟んで、鬼の俎[まないた]の向かい側にある大きな石造物。その昔、旅人を捕らえては食っていた鬼が用を足した場所との伝説が残る。実際は、7世紀中頃に造られた古墳の石槨[せっかく]で上部が底石からはがれたものといわれる。
明日香村の高松塚に程近い、自然いっぱいのぶどう園。ぶどう狩りが楽しめるほか、大粒の上品な巨峰は、大切な贈り物にも。
全長約140mで、明日香村内最大級の前方後円墳。墳丘の緑と、濠が美しい。570年に死去した欽明天皇と、妃で蘇我馬子の妹の堅塩媛[きたしひめ]を合葬した檜隈坂合陵[ひのくまさかあいのみささぎ]とされている。しかし、出土遺物が築造年代とあわず、北方の丸山古墳を欽明陵とみる説がある。
高松塚古墳の南一帯は古代、檜隈[ひのくま]と呼ばれ、朝鮮半島などから渡ってきた渡来人が多数住んでいた地。大和棟の民家が美しい景観をつくる現在の檜前集落の南のはずれに、渡来系氏族東漢[やまとのあや]氏の氏寺だった、この寺跡がある。於美阿志[おみあし]神社境内に金堂や講堂の基壇や礎石が残り、塔跡には平安時代の十三重石塔(重要文化財)が立つ。
高設栽培だから立ったままラクラク収穫できる。ビニールハウスで雨でも安心、寒い冬もぽっかぽか。甘みと酸味がほどよい「あすかルビー」を食べて、イチゴ狩りを満喫しよう。
天武天皇・持統天皇陵の南西にある長さ2.7m、幅1.9m、地表からの厚さ70cmの石造物。その昔、旅人を捕らえては食ってしまう鬼がおり、そのまな板だったとの伝説が残る。実際は、7世紀中頃に造られた石槨の底の部分といわれる。道を挟んで鬼の雪隠[せっちん]がある。
強大な権力を背景に律令政治を推し進めた天武天皇と、天皇として初めて火葬された皇后の持統天皇を合葬する。鎌倉時代に盗掘された時の記録が残っており、被葬者が確実な、数少ない古墳の一つ。
欽明天皇陵の西側、小さな丘にあるのが天智・天武天皇の祖母、吉備姫王[きびひめのみこ]の墓。その柵内に猿石と呼ばれる石造物が4体並んでいる。いずれも人に似たユーモラスな姿をしており、内3体は背面にも顔がある。江戸時代に欽明天皇陵南側の水田から掘り出され、陵内に置かれたものが移されたという。
橘寺の西約600mの路傍にある大きな花崗岩の石。亀がうずくまったような形をしているため、昔から亀石と呼ばれている。現在は南西を向いているが、西を向くと葛城地域が洪水に沈むという伝説がある。
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