
春草廬
三溪園内苑にある、織田信長の弟・有楽[うらく]による建造と伝わる三畳台目の茶室。月華殿(重要文化財)とともに宇治の三室戸寺[みむろとじ]の金蔵院にあったものを、大正11年(1922)に移築。窓が9つあることから、移築前は「九窓亭[くそうてい]」と呼ばれていた。
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三溪園内苑にある、織田信長の弟・有楽[うらく]による建造と伝わる三畳台目の茶室。月華殿(重要文化財)とともに宇治の三室戸寺[みむろとじ]の金蔵院にあったものを、大正11年(1922)に移築。窓が9つあることから、移築前は「九窓亭[くそうてい]」と呼ばれていた。
関東大震災で崩壊したこの地に、昭和2年(1927)ごろ建設された外国人向けアパートメントハウス。典型的な洋風住宅の造りで、震災後に居住した外国人の生活を伝える貴重な建物。4つの同一形式の住戸が、中央部の玄関ポーチをはさんで対称的に向かいあい、上下に重なっている。洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓・よろい戸などが、簡素な仕様になっているのが特徴。見学所要20分。
明治~大正時代の横浜を今に伝える資料館。明治42年(1909)、和洋併設型住宅として建てられた中澤邸の洋館部分を、昭和52年(1977)に移築。開港当時の様子を描いた横濱浮世絵、マンガの原型・ポンチ絵、ギヤマン、オルガン、蓄音機や外国人墓地全景の150分の1模型を解説付きで展示している。開港当時の生活を伝える家具・ガラス食器などのコレクションも豊富だ。山手変遷誌1620円など受付で販売。所要20分。
港の見える丘公園に併設しており、横浜市指定有形文化財になっている旧英国総領事公邸。昭和12年(1937)、英国人の設計により建てられた、鉄筋コンクリート2階建ての洋館だ。昭和44年(1969)に横浜市が取得した。広い敷地と規模の大きさは当時の風格を良く伝えている。玄関脇にはめ込まれた「GRVI1937」と書かれた王冠入りの銘版はジョージ6世の時代を示しており、正面脇の銅板とともに旧英国総領事公邸であった由緒を示している。
三溪園内苑にある、茅葺寄棟造りの禅宗様建築。慶安4年(1651)の建築で、鎌倉建長寺付近の心平寺[しんぺいじ](廃寺)跡にあった地蔵堂を移築したとされる。
山手イタリア山庭園内に建つ、大正末期に建てられた洋館。戦後は山手カトリック教会司祭館として使われていた建物を移築復元。木造2階建て。フランス瓦、鎧戸を持つ典型的な外国人住宅。館内には元町で製作されていた横浜家具が復元展示されている。居留地時代の展示資料や図書の閲覧室もある。見学所要20分。
三溪園内苑にある建造物。天正19年(1591)、京都大徳寺内の天瑞寺(廃寺)に、豊臣秀吉が母の大政所[おおまんどころ]の長寿を祝って建てた生前墓の覆堂。明治38年(1905)に三溪園に移築された。
縁切寺の名で知られる鎌倉東慶寺の境内にあったものを、明治40年(1907)に三溪園に移築。建物は江戸時代の寛永11年(1634)に建てられたものと考えられる。
江戸時代後期に建てられた合掌造りの庄屋の家を岐阜県の白川郷から移築。側面13.2m、正面23mの1重3層建てで、茅葺き屋根の豪農住宅。建物の左半分が式台玄関付きの書院造り、右半分が農家の造りというように左右がまったく違う建築構造を持っているのが見もの。屋内には飛騨地方の民具が展示されている。
三溪園内苑にある、大正7年(1918)に原三溪氏によって造られた一畳台目の茶室。床柱に京都大徳寺の三門金毛閣の高欄の架木を用いていることから、この名が付けられた。月華殿(重要文化財)と渡り廊下でつながっている。
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