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流刑となった源頼朝が14歳から34歳までを過ごした地。平治の乱後、平清盛は源氏一族の血を絶つため頼朝を殺そうとしたが、清盛の継母池禅尼[いけのぜんに]の命乞いによって頼朝はこの地に流された。当時は中洲だった小島も、今では田園に囲まれた小さな公園に変わり、園内に記念碑が立つ。
安政4年(1857)、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍の進言で建設された鉄製大砲を鋳造するための炉。嘉永6年(1853)のペリー来航、欧米各国のアジア進出に対抗するため、軍備の近代化を目的として建設された。実際に稼働した反射炉として、ほぼ完全な形で残るのは全国でもここだけ。2基の反射炉の外側は伊豆石、煙突部分は3段構造で127段のレンガが積まれ、煙突を含め高さは約16m。内側は耐火レンガのアーチ積み。天井に熱を反射させて一点に集中し、金属を溶かす構造。平成27年(2015)7月には韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。
江戸幕府から韮山の世襲代官に任命されていた江川家の邸宅。坦庵[たんなん]公と呼ばれ、兵糧用のパンを初めて焼いたり、反射炉の起工に力を注いだ江川太郎左衛門英龍[えがわたろうざえもんひでたつ]も住んでいた。母屋(重要文化財)は江戸時代の代官屋敷をそのままの形で今に伝える。太い梁を中心に細い木を格子状に組んだ天井がみどころ。建築学的に貴重な遺構で、優れた耐震構造をもつ。天保14年(1843)英龍が開校した「韮山塾の間(部屋)」も見学できる。テレビドラマの撮影でも使用されたことがある。所要30分。
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