
幕末砲台跡
城ケ崎ピクニカルコースの途中にある、幕末に領主の水野氏が海防のために大砲を据えた場所。現在は跡地のみ残る。
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城ケ崎ピクニカルコースの途中にある、幕末に領主の水野氏が海防のために大砲を据えた場所。現在は跡地のみ残る。
伊東では数少ない、昭和初期の建築様式を残す木造3階建ての和風旅館だった建物。平成9年(1997)の廃業後に伊東市へ寄贈され、現在一般公開されている。書院の欄間や客室の飾り窓など、当時の職人が腕を競った美しい彫刻は必見。土・日曜、祝日には、立ち寄り入浴(料金:500円、入浴時間:要問合せ)もできる。
ウィリアム・アダムスの功績をたたえたもので、松川河口に架かるなぎさ橋のたもとに立つ。イギリス生まれのアダムスはオランダ商船隊の水先案内人を勤めていたが、慶長5年(1600)に船が難破して九州に漂着。その後、徳川家康の信任を得て日本に帰化。三浦按針と名乗り、伊東で日本最初の西洋式帆船を建造した。按針記念碑やイギリス詩人エドマンド・ブランデンによる詩碑が建っている。
伊東市役所に隣接する小公園で、藤原氏の流れを汲む伊東氏の館跡といわれる。高台のため見張り台があったところ。園内に立つ銅像の伊東祐親[すけちか]は、伊豆一円を統合し、伊東氏繁栄の基礎を築いた人物。源頼朝と恋に落ちたという八重姫の父で、曽我兄弟の祖父にあたる。
城ケ崎自然研究路のコース途中にある。海上交通安全のために設けられた灯明台の跡。
静岡県内最古といわれる旧松原交番の建物をそのまま利用した観光案内所。館内には案内人が常駐し、湯の町散策についてのアドバイスもしてくれる。イベント情報や観光に役立つ各種パンフレットも揃えている。
弘長元年(1261)、鎌倉幕府の命により伊豆に流された日蓮上人は、川奈の漁師・船守弥三郎[ふなもりやさぶろう]によって、この岩屋にかくまわれたと伝わっている。日蓮は岩屋で約30日間を過ごし、その後伊東へ移ったという。岩屋の前に祖師堂が立ち、岩屋内にも祠[ほこら]がある。
松川の河口、伊東港に面した小公園。伊東の市政30周年を記念し、昭和52年(1977)に造られた。芝生園地が整備され、「家族」など、伊東在住の彫刻家・重岡建治[しげおかけんじ]氏のブロンズ彫刻が置かれている。港に出入りする船が見られ、海上には初島、真鶴半島をはじめ、遠く房総半島なども望める。
伊東港を望む場所に整備。彫刻家・重岡健治氏の作品である三浦按針の胸像と洋式帆船サン・ブェナ・ヴェンツーラ号の像がある。
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