
源氏山公園
伊豆長岡温泉のほぼ中央を占める、高さ約100mの丘。頂上まで赤松の茂る2本の遊歩道が通じている。それぞれ西琳寺[さいりんじ]口・温泉場口から入り、いずれも頂上まで徒歩約12分。途中、傾斜がきついところもあるので、運動靴が無難。山頂には展望公園が開け、展望台が2つある。一方は狩野川を見下ろし、もう一方は長岡の温泉街と天城の山を望み眺めがよい。
- 「伊豆長岡駅」から徒歩23分
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伊豆長岡温泉のほぼ中央を占める、高さ約100mの丘。頂上まで赤松の茂る2本の遊歩道が通じている。それぞれ西琳寺[さいりんじ]口・温泉場口から入り、いずれも頂上まで徒歩約12分。途中、傾斜がきついところもあるので、運動靴が無難。山頂には展望公園が開け、展望台が2つある。一方は狩野川を見下ろし、もう一方は長岡の温泉街と天城の山を望み眺めがよい。
伊豆にある小さなイチゴ農園。すべて高設栽培で章姫と紅ほっぺの食べ比べができる。30分食べ放題。
流刑となった源頼朝が14歳から34歳までを過ごした地。平治の乱後、平清盛は源氏一族の血を絶つため頼朝を殺そうとしたが、清盛の継母池禅尼[いけのぜんに]の命乞いによって頼朝はこの地に流された。当時は中洲だった小島も、今では田園に囲まれた小さな公園に変わり、園内に記念碑が立つ。
古奈温泉側から源氏山に上る途中に立つ、西琳寺の別堂。菖蒲御前[あやめごぜん]が夫である源頼政[みなもとのよりまさ]を亡くした後、尼となって住んだ庵跡だ。御前は古奈で生まれ、後鳥羽上皇に仕えた美女。夫の源頼政はヌエ退治で有名な武将。堂内には、弘法大師の作と伝わる弥勒菩薩が安置され、お堂の前に御前ゆかりの桜の古木「美女桜」がある。
江戸幕府から韮山の世襲代官に任命されていた江川家の邸宅。坦庵[たんなん]公と呼ばれ、兵糧用のパンを初めて焼いたり、反射炉の起工に力を注いだ江川太郎左衛門英龍[えがわたろうざえもんひでたつ]も住んでいた。母屋(重要文化財)は江戸時代の代官屋敷をそのままの形で今に伝える。太い梁を中心に細い木を格子状に組んだ天井がみどころ。建築学的に貴重な遺構で、優れた耐震構造をもつ。天保14年(1843)英龍が開校した「韮山塾の間(部屋)」も見学できる。テレビドラマの撮影でも使用されたことがある。所要30分。
「買う・遊ぶ・食べる・泊まる」が丸ごと楽しめる複合型道の駅。いちごをコンセプトとしたいちご専門店いちごBonBonBERRY伊豆の国factoryでの買い物他、HESO HOTELを拠点に、自転車メーカーMERIDAの最新モデルをレンタルして、伊豆半島周遊など様々な楽しみ方を選ぶことができる。
伊豆長岡いちご狩りセンターは、全ハウス高設栽培で車椅子でもイチゴ狩りが楽しめる。イチゴは酸味と甘みのバランスが絶妙で濃厚な味わいの紅ほっぺが食べられる。
文治5年(1189)、北条時政が創建。表向きは源頼朝の奥州征伐成功を祈願しての建立だが、実際は北条氏の氏寺として建てられた。寺宝も多く、正面の大御堂には運慶の作品で国宝に指定の阿弥陀如来坐像・不動明王三尊立像・毘沙門天立像、計五体があり、大御堂の裏の宝物館には北条政子七回忌供養の地蔵菩薩像やその父時政の像、運慶の名が記された銘札などが残る。北条時政や堀越公方茶々丸の墓、境内から10分の所には政子産湯の井戸がある。
安政4年(1857)、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍の進言で建設された鉄製大砲を鋳造するための炉。嘉永6年(1853)のペリー来航、欧米各国のアジア進出に対抗するため、軍備の近代化を目的として建設された。実際に稼働した反射炉として、ほぼ完全な形で残るのは全国でもここだけ。2基の反射炉の外側は伊豆石、煙突部分は3段構造で127段のレンガが積まれ、煙突を含め高さは約16m。内側は耐火レンガのアーチ積み。天井に熱を反射させて一点に集中し、金属を溶かす構造。平成27年(2015)7月には韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。
源氏山の西麓にあり、鎌倉幕府5代執権北条時頼が開基。境内奥に時頼の墓もある。時頼は若くして家督を譲り、出家して「最明寺殿」と呼ばれた。
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