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飛鳥時代の石造物。左右に二つの顔があり人の心の善悪二相を表したものと伝えられている。橘境内には重要文化財7点所有。本尊聖徳太子35歳坐像は国指定重要文化財。
中大兄皇子[なかのおおえのおうじ](のちの天智天皇)が斉明6年(660)に造った日本初の水時計台跡。発掘調査で、礎石と礎石の間を石で連結させた堅固な建物跡や、導排水管などが発見された。遺構は整備されており、飛鳥資料館で水時計の模型が見られる。
全長約140mで、明日香村内最大級の前方後円墳。墳丘の緑と、濠が美しい。570年に死去した欽明天皇と、妃で蘇我馬子の妹の堅塩媛[きたしひめ]を合葬した檜隈坂合陵[ひのくまさかあいのみささぎ]とされている。しかし、出土遺物が築造年代とあわず、北方の丸山古墳を欽明陵とみる説がある。
高松塚古墳の南一帯は古代、檜隈[ひのくま]と呼ばれ、朝鮮半島などから渡ってきた渡来人が多数住んでいた地。大和棟の民家が美しい景観をつくる現在の檜前集落の南のはずれに、渡来系氏族東漢[やまとのあや]氏の氏寺だった、この寺跡がある。於美阿志[おみあし]神社境内に金堂や講堂の基壇や礎石が残り、塔跡には平安時代の十三重石塔(重要文化財)が立つ。
強大な権力を背景に律令政治を推し進めた天武天皇と、天皇として初めて火葬された皇后の持統天皇を合葬する。鎌倉時代に盗掘された時の記録が残っており、被葬者が確実な、数少ない古墳の一つ。
飛鳥四大寺の1つであり、1塔二金堂式といわれる伽藍配置をもち、当時としてはとても大きな寺だったと想像出来る。中金堂跡には、瑪瑙の礎石(28個)も残っている。本尊は十一面観音、弘法大師作の持国天、多門天に平安初期に造られたとされる十二神将も拝観できる。日本書紀によれば川原寺は日本初の写経場とされており、飛鳥の風を感じながら、簡単な写経体験メニューも用意。写経後には、広い座敷にて天香久山を眺めながら、食事を楽しむことができる(料金、人数等は要問合せ)。
飛鳥宮跡は飛鳥時代の宮殿跡と考えられており、発掘調査で明らかになった石敷き広場や石組みの井戸などが復原されている。この遺構は天武持統両天皇の飛鳥浄御原宮[きよみはらのみや]と考えられている。さらにその下層から別の宮殿跡が見つかっており、古くからの伝承により、中大兄[なかのおおえの]皇子と中臣鎌足[なかとみのかまたり]が蘇我入鹿を斬殺した乙巳の変の舞台となった飛鳥板蓋宮[いたぶきのみや]の可能性がある。
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